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「幻の大量破壊兵器」はいかに捏造されたか ブッシュ政権の情報操作と戦争の大義を再検証する ジャーナリスト 神保哲生『世界』2004年5月号より転載

神保哲生 神保哲生 2023/3/30

2023年3月20日は1995年の地下鉄サリン事件から28年目にあたりますが、同時にアメリカが9.11同時テロの報復としてイラクに武力侵攻した2003年3月20日のいわゆる「イラク戦争」からちょうど20年目となります。

当時当時、アメリカ政治の舞台裏を取材して、その結果を岩波の「世界」の2004年5月号に寄稿しました。ロシアのウクライナ侵攻に対するアメリカの主張に世界の多くの国、とりわけグローバルサウスと呼ばれる国々が距離を置いている理由の一端がこの戦争にあったと思われるので、約20年前に書いた記事をご紹介しておきます。

記事内で紹介されている情報の事実関係はいずれも2004年5月の段階で確認されていたものです。予めご了解ください。

*************************以下転載******************************

『世界』2004年5月号
「幻の大量破壊兵器」はいかに捏造されたか
ブッシュ政権の情報操作と戦争の大義を再検証する
神保哲生

米英によるイラク攻撃から一年が過ぎた今、イラクの大量破壊兵器問題が、俄然クローズアップされている。イラク攻撃の最大の大義とされた「幻の大量破壊兵器」が、どうも幻のままに終わりそうだというのだ。

しかしこれは、それほど驚くべきことではない。もし、戦争終結後のイラクで大量破壊兵器なるものが発見されたとすれば、それはアメリカの主張が正しかったからではなく、たまたまの偶然か、もしくは捏造されたものに違いない。なぜならば、ブッシュ政権は今日にいたるまでまだ一度たりとも、イラクが大量破壊兵器を保有していると考えるべき根拠も、その証拠も提示していない。

イラクが果たして本当に大量破壊兵器を保有していたかどうかという問いについては、まだ一〇〇%結論が出たわけではない。しかし、少なくとも一つはっきりしていることは、ブッシュ政権が、説得力のある証拠を提示することなく、もっぱら情報操作によって「イラク脅威論」を喧伝し続けたという事実だ。そして、残念ながらそれが世論に対して一定の成果をあげることとなった。

 

■■■ 始めにイラク攻撃ありき

二〇〇一年一月に発足したブッシュ政権は、二〇〇一年九月一一日の同時テロを、先代のブッシュ政権時から懸案だったイラクを叩く好機と捉え、素早く動いた。同時テロ発生の四日後の九月一五日には既に、キャンプデービッドで開かれた緊急の安全保障会議で、ラムズフェルド国防長官やウォルフォウィッツ国防副長官が、イラク攻擊を大統領に進言したことが報じられている。まだアフガニスタン攻撃すら決っていない段階で、既に政権の中枢ではイラクへの介入が話し合われていたことになる。

しかし、とは言え、いくらなんでも何の証拠もなくいきなり、「おれは9・11で怒っているんだぞ」というだけの理由で、まったく関係のないイラクに攻撃を仕掛けるのは無理がある。そんなことは国際社会も容認しないだろうし、いざ軍事介入となればある程度の犠牲を覚悟しなければならない以上、アメリカの世論もこれを許すはずはなかった。

また、ブッシュ政権内でも、穏健派を代表するパウエル国務長官が、イラク攻撃には強く反対していた。パウエル長官は、アメリカが9・11の報復対象にイラクを含めれば、せっかくテロとの戦いで足並みを揃えている国際社会の支持を失うことになるとして、繰り返しブッシユ大統領に自制を進言していたことが、ボブ・ウッドワ—ドの著書「Bush at War」の中で克明に紹介されている。

そこでブッシュ政権は、国際社会を納得させるためにも、そしてパウエルら政権内の慎重論を押さえ込むためにも、イラク攻撃を正当化するための二つの口実を考え出した。それが、イラクが化学兵器などの大量破壊兵器を密かに保有し、核兵器の開発にも食指を伸ばしているということと、イラクがアルカイダを含む、 国際テロリストのネットワークを支援し ているということの二つだった。

そして、それが決まった時、その口実を尤もらしいものに見せるための、徹底した情報操作が始まった。

 

■■■ 先代ブッシュ大統領と保育器の赤ん坊

ところで、イラク脅威論をめぐる情操作はジョ—ジ・W・ブッシュ現大統領の父、先代ブッシュ政権時代にまで遡る。

一九九〇年一〇月一〇日ワシントンの連邦議会で卜厶・ラントス(民主党・カリフォルニア州 )、ヘンリー・ハイド(共和党• イリノイ州)ら人権派有力議員主催の「下院人権議員集会」が開かれていた。この集会の主人公は一五歳のクウェート人少女だった。少女は、身元を明らかにすればクウェートに住む家族がイラクからの報復を受ける恐れがあるとの理由から、「ナイラ」という名前のみが明らかにされていた。そして、「命からがらクウェートから逃げてきた」とされたナイラは、イラク占領下のクウェートで彼女がボランティアで働いていた首都クウェートシティのアルアダン病院に武装したイラク兵が押し入ってきて、保育器の中にいた未熟児の赤ん坊を保育器から冷たい床の上に放り出して皆殺しにしたと、涙ながらに証言した。

このナイラ発言以降、先代ブッシュ政権の高官たちはサダ厶・フセインの残虐性を、そしてイラクのクウェート侵攻の違法性を批判する際に、必ずといっていいほどこのエピソードを繰り返し引き合いに出した。ブッシュ大統領自身、サダム・フセインを呼ぶ時に「ベビーキラー(赤ん坊殺し)」という表現を好んで使った。

この「赤ん坊殺し」のエピソードが、アメリカの世論にどの程度の影響を及ぼしたかを具体的に推し量ることは難しい。しかし、湾岸戦争直後のブッシュ政権の支持率が八九パ—セントまで急上昇したのを見ても、多くのアメリカ人が、この戦争を「大義ある戦争」と受け止めていたことは容易に推察することができる。少なくともナイラ発言がその一助となっていたことは間違いないだろう。

ところが、実はこのナイラはとんだ食わせ者だった。彼女は実は当時のクウェートの駐米大使サウド・ナシール・アル・サバの娘で、実際にはアルアダン病院とは縁もゆかりもない人物だった。しかも、この日のナイラの証言は、クウェ—卜政府が反イラク世論を盛り上げるためにダミー組織経由でコンサルティング契約を結んでいたアメリカのPR会社『ヒル・アンド・ ノウルトン』のフィッツペガド副社長が、直々に指導をした名演技だった。そして更に問題なのは、この証言の内容が恐らく、と言うよりもほぼ間違いなく、「真っ赤な噓」だったことだった。

湾岸戦争終結後、世界中のマスメディアがこの証言の真偽を確認するために取材に走った。ところが、あらゆる病院関係者に取材を試みても、イラク軍が保育器を持ち去るところを目撃した者は誰一人として見つからなかった。また、取材の結果、当時のクウェートには全土でも数えるほどしか保育器というものが存在しなかったことも明らかになった。クウェートにはナイラの証言したような「何百もの保育器」など、最初から存在しなかったのだ。

湾岸戦争では他にも、例えばあの戦争の象徴の一つとなった「重油まみれの鳥」が、当時はフセインが油田を破壞したために起きた悲劇だとして、フセインの凶暴性の証の一つとして広く報じられたが、後になって実はあの重油は、アメリカ軍の爆撃で流出したものだった可能性が高いことも指摘されている。

他にも、国防総省が得意気に映像を公表していた精密誘導弾による米軍のピンポイン卜爆撃も、実際に使われた精密誘導弾は全体のせいぜい一割程度で、残りは相当の誤差を伴う通常爆撃だったことが、後に明らかになっている。

これらのエピソードは、いずれももう一〇年以上前の話になるが、イラクの脅威を誇張し、戦争に対する国内外の世論の支持を取り付ける父ブッシュ政権のこの体質は、八年間のクリントン政権を経て登場した長男ジョージ・W・ブッシュの政権にも確実に引き継がれていた。

 

■■■ 幻の大量破壊兵器

湾岸戦争でアメリカが主導する「多国籍軍」の新型兵器の前に完膚なきまでに打ちのめされたサダ厶・フセインは、クウェートからも撤退し、その後IAEA(国際原子力機関)の武器査察も受け入れていた。少なくともその時点では、イラクの大量破壊兵器の脅威は収束しつつあるかに見えた。ところが一九九五年、イラクの大量破壞兵器開発プログラ厶の最高責任者でサダ厶・フセインの女婿でもあったフセイン・カメルが、一族の内紛が原因でヨルダンに亡命し、イラクが湾岸戦争後も大量破壊兵器やミサイルを隠し持っていたと証言するという一大事件が起きた。

カメルは国連やアメリカの関係者に対し、湾岸戦争後もイラクがVXガスなどの大量破壊兵器を保有していたことや、イラクが今も兵器の設計図などを隠し持っていて、国連の査察が終わったら開発を再開することを計画していることなどを暴露した。

その後、ブッシュ政権の高官たちは、この時のカメルの証言を、イラクが大量破壊兵器を保有している根拠として繰り返し引き合いに出してきた。

ところが、実はカメルはもう一つ重要な情報も提供していた。それは、イラクが湾岸戦争後に、VXガスや炭疽菌を含むすべての化学兵器とそれを飛ばすためのミサイルを廃棄していたことだった。

ブッシュ政権の高官たちはカメル証言のうち、過去に大量破壊兵器を開発していたという部分と、未だにその設計図などが残っているという部分だけは誇張しておきながら、既に武器が全て廃棄されているというカメルの証言には、誰一人として触れようとしなかった。

パウエル国務長官はイラク攻撃を目前に控えた二〇〇三年二月五日の国連安全障理事会演説で、「イラクが四トンの神経VXガスの製造を認めるまで四年かかった。それも、フセイン・カメルの亡命によって、査察団の手にその証拠資料がもたらされたために、やむを得ず白状したものだった」と述べ、あたかもカメルの証言が、イラクが大量破壊兵器を保有している証拠として、今なお有効であるかのように主張している。

その後、ニューズウィークやワシントンポストに、ブッシュ政権がカメル証言の特定部分 みを恣意的に抜き出して利用していることを指摘する記事が掲載されると、ブッシュ政権の高官たちは、カメルの証言には不確かな部分も多く、そもそも亡命者の証言を丸ごと信じるわけにはいかないと釈明した。しかし、自分たちに都合のいい点についてはカメルの証言を最大限に利用しておきながら、都合の悪いことになると突然その信頼性を問題にする行為は、恣意的な情報操作の誹りは免れない。

イラクの大量破壊兵器については、ブッシュ政権はカメル証言の他にも、多くのあからさまな情報操作を行っている。

例えば、二〇〇二年九月七日、ブッシュ大統領はブレア首相との会談後のスピーチの中で、「一九九八年のIAEAの報告書には、イラクがあと六力月で核兵器の開発に成功するところまできていたことが明らかにされている。これ以上どんな証拠が必要だというのだ」と語り、イラクを攻撃すべき証拠は既に十分揃っていると主張した。

ところが、ブッシュ大統領が、この演説の中で言及したような報告書というものは、実際にはこの世には存在しないものだった。これに最も近いものとして、一九九八年にIAEAが発表した報告書が一つあるが、その報告書には「今日に至るまでに入手した信頼すべきすべての情報から判断して、IAEAではイラクが核兵器製造に成功したことも、あるいは兵器への転用が可能な核物質の製造に物理的に成功したことも、あるいはそのような物質を秘密裏に入手することに成功したことも、何一つとして裏付けられていない」と、むしろ大統領の主張とは正反対の結論が記されていた。

また、ブッシュ大統領は二〇〇二年九月一二日の国連演説の中で、イラクが何千本もの強化アルミニウ厶のチューブを購入していたことを指摘しながら、このアルミチューブが「核兵器用のウランの濃縮に使われるもの」と断定した上で、これをフセインが核兵器に食指を伸ばしている証拠であると主張した。

しかし、このアルミチュ—ブは幅が八一ミリと細く、実際にはウラン濃縮には使えない代物だった。IAEAはかなり早い段階でこのチューブはウランの濃縮には不向きである上に、イラクが従来型ロケット砲を製造するために以前から使用していたものであることを、報告していた。

ところが、ブッシュ大統領の他、チェイニー副大統領やライス国家安全保障担当大統領補佐官までが口を揃えて、そのチューブは核兵器のためのものだと主張し続けた。ライス補佐官にいたっては、「核開発以外に使い道のないチュ—ブ」とまで言い切っている。

このアルミチューブについては、イラク攻撃が始まる直前の二〇〇三年二月のパウエル国務長官の国連安保理演説でも、イラクの核兵器開発の証拠としてあげられ、一部の専門家たちの失笑を買っている。IAEAの対イラク査察団の代表を務めたこともある元アメリカ海兵隊の情報部員スコット・リッターは、「国際社会を納得させるためには、パウエルはあのスピ—チでホー厶ランが必要だった。ところがパウエルのスピーチはバントだった」と語り、パウエルのこのスピ—チを笑い飛ばした。

さらにブッシュ大統領は二〇〇二年一〇月七日のテレビ演説で、「一九九八年、亡命したイラクの核技術者からの情報で、サダ厶・フセインが約束に反して、イラクの核開発プログラ厶の継続を命令していたことが明らかになった」と述べている。ところがこの情報をもたらした亡命者ハディル・ハムザは、実は一九九一年にはすでに核開発プログラ厶からは離れ、しかも九五年にはイラクから亡命していた人物だった。つまり、ブッシュは一〇年以上昔の情報しか持たない亡命者の証言を引き合いに出しながら、二〇〇二年になってもまだイラクが大量破壊兵器を保有している根拠であると、平然と国民に語りかけていたのだ。

ブッシュ大統領については他にも、二〇〇三年の一般教書演説の中で、イラクがアフリカのニジェールから、五〇〇卜ンのウランの購入を試みたことを示す証拠書類を引用し、イラクが核開発の野望を捨てていないことの証左であると主張したが、 CIAが既に二〇〇一年の時点で、それが明らかな二セモノであると思われることを大統領に報告していたことが後に明らかになっている。

 

■■■ イラクとアルカイダ

国際的テロを展開するアルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンは、イスラ厶教の中でも戒律を重んじるワッハーブ派に属し、世俗的なサダム・フセインの体制を批判してきた。そのような経緯もあって、9・11のはるか以前から専門家の間では、アルカイダとイラクの間につながりはないと考えられてきた。

しかし、イラク攻撃の二つの口実のうち、大量破壊兵器の方でなかなか説得力のある証拠が出てこない以上、ブッシュ政権としてはイラクとアルカイダのつながりを裏付ける情報だけはなんとしてでも欲しかった。そんな時、意外なところから情報がもたらされた。 テロの実行犯の一人モハメド・アタが、二〇〇一年四月八日から一一日の間、チェコのプラハ でイラクの情報機関の高官と接触したらしいという情報が、チェコ政府からもたらされたのだ。

イラク攻撃の口実を何とか見つけたかったブッシュ政権の高官たちにとっては、これぞ渡りに船だったに違いない。その後、この「プラハのアタ」の物語は、いやというほど繰り返しブッシュ政権高官のロにのぼることになる。

しかし実は、この情報は最初から信憑性の低いかなりいい加減なもので、二〇〇一年一二月頃までには、これがガセネ夕だったことがほぼ確実になっていた。

そのイラク政府高官とされる人物は、アーメド・カリ・イブラヒム・サミル・アル・アニ という名のプラハのイラク大使館の二等書記官だったが、実はアル・アニは片手間に自動車の小売業も営んでいて、ドイツの中古車販売業者と頻繁に会っていた。その中古車販売業者 の中の一人が、テロ実行犯のモハメド・アタに瓜二つの顔をしていたのだった。

二〇〇二年一二月にはニューヨークタイムズが、アル・アニ自身がアタとの接触を否定していることをブッシュ政権が掴んでいることを報じている。

また、そもそもアタが、この時期にプラハでアル・アニと会うことが不可能であることを、ブッシュ政権は知っていて当然だった。なぜならば、二〇〇二年四月の時点で、アタがアル・アニと会っていたとされる四月の上旬に、実際にはアメリカのバージニア州のバージニアビーチにいたことをブッシュ政権は掴んでいたからだ。アタにはアリバイがあり、アメリカ政府はそれを知っていたのだ。

その後、二〇〇二年一〇月二一日、 チェコ政府は独自調査の結果として、「プラハのアタ」情報には根拠がなかったとの結論をホワイトハウスに伝えている。

ところが、ブッシュ政権の高官たちは、その根も葉もない噂を、その後もまき散らし続けた。例えば、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官は二〇〇二年二月のサンフランシスコ・クロニクル紙のインタピューの中で、このように語っている。その一部を抜粋してみた。

記者「イラクとアルカイダ、及びその国際的なテロのネットワークの関連を示す説得力のある証拠というものはあるのですか」

ウォルフォウィッツ「機密扱いの情報も多いので、多くを議論することはできません」

記者「機密情報の開示を要求しているわけではありません。ただ、イラク政府とアルカイダの間に実際のつながりがあることを示す証拠があるのかを知りたいのです」

ウォルフォウィッツ「私はつながりがあるとは言っていません。ただ、まだ明らかにしていない事実もいくつかあります。たとえば、モハメド・アタがプラハでイラク政府の高官と会っていたという話です」

記者「その情報は不確かなものではないですか」

ウォルフォウイッツ「そこがまた機密の領域に入ってしまうんですよ」

イラク攻撃強硬論者の筆頭格だったウォルフォウィッツは、断定は避けつつも「機密」という伝家の宝刀を巧みに使いながら、 アタがイラク政府と関わりがあったことを匂わせようとしている。ここでのウォルフォウィッツの発言は、アメリカ政府は既にアタがイラクと関わりがあることの確たる証拠は掴んでいるが、それが機密扱いなので、明快には回答ができなくて残念でならない、と多くの人に受け止められることを狙ったものだったに違いない。

ウォルフォウィッツは、この情報が機密扱いとなっていることが、これを断定的に話せない唯一の理由であるかのように振舞うことで、実は非常に不確かな情報に根拠の無い説得力を持たせることに成功している。うまいと言えばうまい、不誠実と言えばこれほど不誠実なものもない、やり方である。

「プラハのアタ」については、その後もブッシュ政権の高官の発言は続いた。二〇〇二年四月にFBIがアタのアリバイを摑んだ後も、例えば、二〇〇二年七月にはラブズフェルド国防長官が見で、「イラクはアルカイダと関係があった」と言い張り続けている。チェイニー副大統領がテレビのインタビュ—で、「何年にもわたってイラクとアルカイダの間にさまざまな接触があったことは報告されていた。ハイジャックの実行犯だったモハメド・アタは何度かプラハを訪れているが、少なくともそのうちの一回は、世界貿易センタービルが攻撃される数力月前に、アタがプラハでイラク政府の高官と会っていたことが報告されている」と語ったのは、なんと二〇〇二年九月八日のことだった。

イラクとアルカイダを無理やり結びつけようとするブッシュ政権の情報操作はその後も続いた。

チェイニー副大統領は二〇〇四年一月のラジオのインタビューの中で、サダム・フセインとアルカイダの間には「明確な関係の証拠」があると断定した上で、イラクが一九九三年の世界貿易センタービル爆破事件の容疑者アブドゥル・ラハマン・ヤシンを匿っていることを、その証拠の一つとしてあげている。

確かにヤシンがその時イラク国内にとどまっていたのは事実だが、ここにはチェイニーが意図的に明らかにしなかった事実がもう一つある。それは、一九九八年にイラクがアメリカに対して、ヤシンの身柄引き渡しを打診していたという事実だった。イラク政府はアメリカ政府に対し、ヤシンの引き渡しと引き換えに、イラクが世界貿易センタービルの爆破事件とは無関係であることを認めるよう求めたが、当時のクリントン政権がこれを拒否したために、ヤシンの身柄引き渡しは実現しなかった。前政権下での話とは言え、半分はアメリカ側の都合で身柄の引き渡しが実現していなかったにもかかわらず、チェイニーはそれを知りながら世の中には、これをイラクとアルカイダのつながりを示す証拠として提示していたのだった。

 

■■■ 誤植までコピペされていた英の剽窃リポ—卜

二〇〇三年二月、イギリス政府は『イラク—その隠蔽と欺瞞と威嚇の基盤』と題するイラクとアルカイダのリンクを指摘する調査報告を発表しているが、この報告書のデタラメぶりもまた、欺瞞に満ちたものだった。

この報告書はイギリス政府が作成したもので、ブッシュ政権は報告書の中身には直接関わっていないが、後にパウエル国務長官を始めとするブッシュ政権の高官たちが、繰り返しこの報告書をイラクとアルカイダを結びつける根拠として引用している。

この報告書は当初イギリスの情報機関M16がまとめたものとして公表されたが、後になって、実際はブレアの側近として知られるアリステア・キャンベル報道官のスタッフが作成したものであることが明らかになった。そして、この報告書の「でたらめさ」のすごいところは、なんと報告書の中身の大半が、他の論文からの丸写しだったことだった。

この報告書は過去に学会誌などに掲載された複数の論文の中から、自分たちの主張の裏づけに使える部分だけを適当にコピぺ(コピー&ペースト)し、最後の結論部分、つまりイラクが国際的テロを支援しているという結論だけを自ら書き足すという、何ともあきれた作業の産物だった。あきれついでに付け足しておくと、原文にあったスペルのミスまでが、そのまま報告書にも移植されていた。まさに文字通りのコピペ作業だったのだ。

この報告書の大半は、在米の研究者イブラヒム・アル マラシ氏の博士論文「イラクの安全保障と情報のネットワーク—ガイドと分析」から、無断でコピされたものだった。

また、大半がコピペだったわりに、中で使われている単語のいくつかは、興味深い別の単語と差し替えられていた。例えば、オリジナルの論文では「大使館を通じてモニターする」と表現されていた部分が、報告書では「諜報活動」に変えられていたり、「反対勢力」は「テロリスト」に置き換えられていた。

この報告書そのものは、まともに取り合うのも馬鹿馬鹿しいような代物だが、にもかかわらずブッシュ政権の高官たちはその報告書の内容を、その後も繰り返し引用した。

バウエル長官は二〇〇三年三月の国連安保理の演説で、このコピペ報告書について「イギリス政府が、イラクの欺瞞行為を詳細にわたり検証している素晴らしい報告書を配布しています。皆さんぜひこれをご覧下さい」と語り、これに最上級の賛辞を送るとともに、イラクとアルカイダのつながりを示す有力な証拠として、全世界に向けて紹介している。

 

■■■ 「結果責任」は最後までついてくる

このようにブッシュ政権の一連の情報操作を注意深く観察してみると、何だかドタバタ喜劇でも見せられているような気さえしてくるが、しかし笑ってばかりもいられない。一見杜撰に見える情報操作でも、それが世論形成に対してはかなりの影響力を発揮しているからだ。その結果、実際に武力行使が行われ、多くの血が流れ、そして一つの政権が倒され、今イラクがアメリカが主導する軍隊の占領下にある。

また、そのようないい加減な情報操作になぜメディアはいとも簡単に躍らされ、結果的にそれに加担することになったかも、今後厳しい検証が必要だろう。

さらに、この戦争の大義が、遅ればせながら一年たった今になってようやく世界中で大問題となっているのに対し、日本では「戦争の大義」など一向にお構いなしに、自衛隊派遣だけが粛々と進んでいるのも、かなり異様である。

ブッシュ政権に習ったかどうかは知らないが、小泉政権もこの派兵に際しては「非戦闘地域」への「人道復興支援」などというレトリックを巧みに使って、説明責任をうまくすり抜けようとしている。そして、それは少なくともここまでは、功を奏しているかに見える。

しかし、情報操作の最大の問題点は、よしんば一時的にそれがうまくいったとしても、所詮その内容は噓や欺瞞に過ぎないということだ。そして、「説明責任」を欺瞞でごまかせたとしても、後により重い「結果責任」がのしかかってくることは避けられない。

情報操作の重い結果責任を示す好例がある。パウエル長官は二〇〇三年二月の国連演説で、イラク北部にある建物の衛星写真を指し示しながら、それがテロリスト集団の「化学兵器工場」であると主張した。しかし、その建物は後に国連の査察官や各国の報道機関が調査・検証した結果、単なる廃墟に過ぎなかった。

その廃墟から五キロほど離れたクーマルといぅ街の住民たちは、パウエルが国連演説でその施設の場所を化学兵器の製造場所として名指しにしたために、いつたん戦争が始まると彼らの村が米軍に爆撃されることになるのではないかと恐れていた。そして、その恐れは現実のものとなった。

恐らく化学兵器とは縁も所縁もなかったクーマルは、戦闘開始直後に米軍の巡航ミサイルの爆撃を受け、四五人の村人が犠牲になった。「情報操作」という名の「欺瞞」が招いた重い重い結果だった。(了)