生命について
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マル激トーク・オン・ディマンド
第353回(2008年01月05日)
生命について
2008年最初のマル激は、ベストセラー『生物と無生物のあいだ』の著者・福岡伸一氏をゲストに迎え、生物とは何かという視点から、現在の人類のあり方や科学との接し方を考えた。
昨年5月に出版された『生物と無生物のあいだ』は、30万部突破という、科学書としては異例の売り上げを記録し、2007年の年間ベストセラー(東販調べ)で18位にランクインした。
なぜこの本がそこまで売れたかについては、著者の福岡氏の文才に依るところも多いが、同時にこの本が、『生命とは何か』という人類にとっての根源的なテーマを正面から扱っている点が、多くの人々の関心を集めたとみられている。本書の中で福岡氏は、自身が辿ってきた分子生物学者としての道のりを振り返りながら、“生命とはなにか”との問いかけを繰り返し行っている。
そもそもこの本を書き上げた動機は、“機械的生命観”へのアンチテーゼだったと福岡氏は語る。機械的生命観とは、生物とは、ロボットのように各パーツごとに構成され、そのパーツを正確に組み上げられさえすれば、全体として機能するという考え方だ。機械的生命観に基けば、例えば、機能低下した臓器に対しては、代替となる臓器を移植すればいいという考え方が出てくるし、遺伝子操作なども、各パーツさえきちんと動けば問題ないことになる。
しかし、福岡氏は、研究を続けるうちに、生命とは、単純にパーツの寄せ集めで成り立っているわけではなく、互いの細胞の関係性で成り立っていることに気がついたと言う。例えば、遺伝子操作によって生まれながらにして特定の機能を持たない「ノックアウトマウス」を作り出しても、別の何かが失われているはずの機能を補い、全体としては平衡をとって、正常なマウスのように生き続けることがよくあるという。現在、遺伝子工学が進み、遺伝子レベルで生命をデザインすることが可能になったと言われているが、その一方で、逆にそれは、生命とは簡単に操作得るものではないことを日々明らかにしていると福岡氏は言う。
遺伝子組み換え食品や狂牛病は、まだ人類が理解できていない未知のリスクを多く含んでいる可能性があると警告する福岡氏とともに、そもそも生物とは何なのか、命とは何なのかといった根源的な問いかけから、昨年大ニュースとなった万能細胞(iPS細胞)研究のリスクと可能性についてまで、幅広く「命」を議論した。
<ゲスト プロフィール>
福岡 伸一(ふくおか しんいち)青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授
1959年東京都生まれ。82年京都大学農学部卒業後、87年京都大学農学研究科食品工学専攻博士後期課程修了。渡米し、88年ロックフェラー大学ポストドクトラル・フェロー、89年ハーバード大学医学部ポストドクトラル・フェローとして勤務。91年京都大学食糧科学研究所講師から、94年同助教授を経て、01年京都大学大学院農学研究科助教授に就任。04年4月より現職。著書に「もう牛を食べても安心か」、「生物と無生物のあいだ」など。
January 7, 2008
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コメント
再見してみました。
PART1 の 01:15:20 以降、宮台真司先生の全体説(全体論)と局在説(還元論)に関する説明を皮切りに、PART1 終了時までが、特に印象に残っていたので・・・
ドーキンスに代表されるネオダーウィニズム(還元論:自然淘汰と突然変異)とは対照的に、福岡伸一先生の立場は、御著書『生物と無生物のあいだ』で、ノックアウトマウスやウイルスの例を挙げて、還元論の限界を指摘しつつ、「私は、現存する生物の特性、特に形態の特徴のすべてに進化論的原理、つまり自然淘汰の結果、ランダムな変異が選抜されたと考えることは、生命の多様性をあまりに単純化する思考であり、大いなる危惧を感じる。むしろ、生物の形態形成には、一定の物理的な枠組み、物理的な制約があり、それにしたがって構築された必然の結果と考えたほうがよい局面がたくさんあると思える。・・・生物が示す形態形成の根拠には、分子の拡散がもたらす濃度勾配やその空間的な広がりなど、ある一定の物理学的な枠組みがあることが見て取れる」と述べているように、構造主義進化論(進化にとって最も重要なのは遺伝子の変化ではなく、システムの定立とその変化であり、遺伝子はシステムに拘束された部品にすぎない)を唱えた池田清彦先生と同じく、全体論的です。
池田清彦著『構造主義と進化論』
還元主義的階層論 全体の性質は部分の性質に還元できる 部分と部分の関係は、部分の性質によって決まる
全体主義的階層論 部分と部分の関係は部分の性質に還元できず、関係自体が実在している
池田清彦編著『遺伝子「不平等」社会』
「ゲノムや遺伝子は活きている細胞がなければ、いかなるものも作れないし、いかなる機能も発揮できない」
「遺伝子は何を決めているかっていうと、単純にタンパク質を決めているだけなんです」
池田清彦著『昆虫のパンセ』
「システムは共時的に成立する」
「すべての構造(原理)は、一気に成立する」
池田清彦著『構造主義と進化論』
「構造の定立は無根拠である」
池田清彦著『科学教の迷信』
「遺伝子が形質や行動の原因であるという話は錯誤である、と私は思う。たとえば、最近の発生遺伝学の進歩は、線虫からショウジョウバエを通ってヒトまで、形を決定する(と信じられている)遺伝子(DNA)はほとんど同じであることを明らかにしてきた。遺伝子は変わらなくとも形は変わるということこそが問題の核心である」
「重要なのはDNAという物質そのものではなく、DNAを一要素とする細胞内の高分子の関係性(コミュニケーションルール)」
「DNAはタンパク質を作り、形態形成に関与している。現在わかっているのはただそれだけである」
池田清彦著『新しい生物学の教科書』
「生物のシステムや枠組みは、自然選択とは無関係な出来事によって決まり、自然選択はその後で働くマイナーな進化プロセスにすぎないと私は思っている」
「生きていることの実相は、代謝と循環であり、DNAではない」
「すべての生物は何らかの同一性を保ったまま、外部から物質とエネルギーを取り入れて、自分自身の体を含めて物質を入れ替え、循環させている」
池田清彦著『初歩から学ぶ生物学』
「生きていることの本質:自律的に自己同一性を保ちつつ、物質的には絶えず変化するシステム」
福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』
「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」
「生命とは動的平衡にある流れである」
「ドーキンスは、アナロジーとして利己的だと表現したのであり、DNAを意志をもった主体とは考えていない(池田清彦著『科学教の迷信』)」
「素人が読むと遺伝子に意図があるように読める」とドーキンスに対する浅読みを戒め、「ある視座から見たときに、残っていくのは遺伝子である」と述べた宮台真司先生の指摘は、その通りで、確かに、「われわれは生存機械 - 遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。生き残った自己複製子は、自分が住む生存機械(survival machine)を築いたものたちであった(R・ドーキンス著『利己的な遺伝子』)」と、書いてあります。
目的ではなく(偶然の)帰結・・・意図せざる結果(R・ドーキンス著『ブラインド・ウォッチメーカー』)としての生命・・・生命という可能性の有り得なさを訴えた表現であることは分かりますが、初めて読んだ当時のこと・・・、"盲目的" という表現を、大層不可思議に感じた当時のことを思い出します。突然変異+自然淘汰という法則に粛々と従うモデルを訴えるのに、"盲目的" という表現は冗長(当たり前)だと感じたからです。今でも、この違和感は消えておりません。ニュートン力学を "盲目的にプログラムされた" 質点、或いは、量子力学を "盲目的にプログラムされた" 素粒子なんて、いくら何でも可笑しいですから・・・閑話休題。
宮台真司先生
「我々はあまりにもそのメカニズムが精妙なので、どうしても目的(自己維持)があるように臨床的に仮託してしまう」
「人間が見るとあたかもそれを目的にしていたように見えるけれども、あくまでも帰結」
「エントロピーが低い状態(秩序)が維持されるという結果的な事実しかない」
福岡伸一先生
「目的があるというとある種の方向性があるように見えてしまう」
全体的な枠組み(無根拠な秩序)に束縛された中での多様性と見るか? 還元的な法則の累積に、秩序の多様性(盲目性?)を見るか?
ポール・デイヴィス著『神と新しい物理学』
「「世界を全体論的に理解すべきか、還元主義的に理解すべきか」と問うのは間違いである。それは何を知りたいかに依存する」
難しさを感じます。「あくまでも帰結」「結果的な事実しかない」と言っても、「事実は専門的な理論があってはじめて捉えられる。単なる事実というものはなく、全ては事実の解釈である(池田清彦著『構造主義科学論の冒険』)」からです。「同一の現象から、矛盾する事実を引き出す解釈体系の共存が許される。・・・事実が理論を倒せない(池田清彦著『構造主義科学論の冒険』)」という難問です。
分かるってどういうことでしょう?
苫米地英人著『心の操縦術』
「見たことがないのにわかるのは、ゲシュタルト能力を利用しているからです」
「全体と部分が双方向的に関係し・・・フレームワークがわかることで部分がわかる」というゲシュタルト。
「もともと人間のやっていることは、すべてヒューリスティックです。ヒューリスティックというのは、経験的(もしくは生得的)な知識を利用して、ファジーなマッチングを "発見的" に行うような人間の能力を指す用語ですが、この "発見的" な見方はゲシュタルト能力があるから可能なのです」
全体論と還元論・・・正しい理論とは? 解釈(理論)が事実を決めてしまう。 解釈(分かる)とは発見的なものである。 ゲシュタルト能力あればこその発見・・・
生命と宇宙・・・話半分で聞くことの難しさを感じつつ、
「何事も見えるという水準に留まる(宮台真司先生)」
合掌・・・!!
神保さんへ
随分前のエントリー故、ビデオニュース・ドットコムのコメント欄では、皆さんに気づかれにくいだろうと思い、こちらの方に書き込んでしまいました。ご容赦下さい。温暖化についても、折りを見て、コメントしようと思っているのですが、ビデオニュース・ドットコムの方でも、recent comment 欄を作っていただけないでしょうか?
March 20, 2008
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