フランス大統領選が露呈したグローバル化の現実
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マル激トーク・オン・ディマンド
第320回(2007年05月18日)
フランス大統領選が露呈したグローバル化の現実
ゲスト:萱野稔人氏(津田塾大学国際関係学科准教授)
5月16日、ニコラ・サルコジが、フランスの第6代大統領に就任した。サルコジ新大統領は「国民は過去との断絶、変化を選択した」と語り、変革を強調した。メディア報道を見ても、フランス国民は変化を求めたとする論調が目立つ。
しかし、サルコジ自身はシラク大統領と同じ与党・国民運動連合の中で内相や財務省として辣腕を振るってきた与党政治家でもある。政権内部にありながら変革のレトリックを巧みに使い国民の人気を博していく手法は、「自民党をぶっ壊す」の一言で政権を獲得した小泉純一郎をどこか彷彿させる。
確かにフランスには待ったなしの問題が山積している。グローバル化の流れの中で世界的に規制緩和が進む中、フランスは国内産業や労働者を保護してきたため、その結果、国際競争力の低下に悩まされ、失業率は10%に迫る勢いだ。都市郊外に住む移民の2世、3世の2割が職にありつけず、差別と貧困に苦しむ彼らは、いつ2005年の暴動が再発してもおかしくない状況だ。
世界でも希に見る手厚い社会保障制度を享受してきた国民も、一定の改革の必要は感じているが、政府がいざ社会保障に手を付けようとすれば、ゼネストが待ち受けているのが実情だ。どこの国にあっても、既得権益の打破はたやすいことではない。
パリ第十大学大学院で学び、フランスの思想・政治を研究対象とする哲学者・萱野稔人氏は、日本人が抱くフランスへの幻想の大きさを指摘する。自由・平等・博愛を謳いながら、深刻な人種差別がはびこる国内。国際的にも、アメリカの対抗軸を装いながら、現実には米国の縮小版のような大国のエゴむき出しの外交政策を北アフリカでは展開している。
イラク戦争への強行な反対も、石油のユーロ決済を求めたイラクをアメリカが叩き、フランスはこれを擁護するという構図が、その背後にあったと萱野氏は指摘する。イラク戦争も所詮はアメリカとフランスの単なる覇権争いに過ぎないと言うのだ。
萱野氏は、グローバル化が進み、国境がなくなるかのように見えるこの世界では、むしろ、国家の権力は増大していくと説く。自由化や民営化によって国家のプレーヤーとしての役割は縮小していくが、その分ルールの遵守を監視する監視者としての役割や、それを遵守させるための警察や検察、金融当局が持つ暴力の行使者としての役割は増大していくと言うのだ。そしてサルコジは、忠実にその国家の論理に従い、経済の自由化を進める一方で、治安問題には強硬策で臨むことで、「改革」を巧みに演出していくだろう。そうした現実の元で、社会から排除された若者たちには、もはや暴動を起こすぐらいしか残された道はない。それがグローバル化した世界の偽らざる現実の姿であることを、フランスの大統領選挙が改めて浮き彫りにしているようだ。
気鋭の論客・萱野氏とともに、フランス大統領選の結果から見えてくるグローバル化の現実とは何かを、あらためて考えた。
<ゲスト プロフィール>
萱野 稔人(かやの としひと)津田塾大学国際関係学科准教授
1970年愛知県生まれ。2003年パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。哲学博士。東京大学21世紀COE「共生のための国際哲学交流センター」研究員、東京外国語大学非常勤講師を経て、現職。著書に『国家とはなにか』、『カネと暴力の系譜学』など。『権力の読みかた』(仮)を7月ごろに刊行予定。
May 23, 2007
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第316〜321回マル激 from Murrielz blog
マル激を電車で「聞いて」いますが、最近は、途中で止めてそのままにしてしまうことが多くなりました。
だからどうしたというわけではありませんが、こういうとき...
June 17, 2007
津田塾大学で国際人を目指す from 津田塾大学で国際人を目指す
これからの日本と世界は女性の時代です。
津田塾大学で語学力と知識を身に付け、グローバル化する時代をリードして欲しいと思っています。
June 17, 2007
コメント
イケ面じゃんこいつ。
これまでいつも書く奴がまったく書き込みがないのはそのせいだと思う。そんじゃぁーおいら酒飲んでないときもっと読んでみるか。
いままでなにかと悪態ついてきた野郎ども、どーしたんだ ♪ヘイヘイ ベビー !!!
たしか、植草一秀を冤罪じゃないかとか言ってた変な連中もいたよな? 書き込みしてみなよそいつらさ。
May 30, 2007
上の方の言われるような、つ~まらないこと考えてる人は余りいないと思います。イケ面って・・・ビミョウな。そんなことよりも、以前のマル激と違うことに戸惑っているのではないでしょうか。少なくとも私はそうです。
偶然このvideonewsを見て以来、なんてストイックなかっこいい若い青年ががんばっていることと思いました。でもどうだろう、現在はあれ?中身は案外無かったのかなと思うのがつらいのです。外部の勝手な言い方ですが。
Wellnessさん、論をはるならもう少し冷静に意見を言ったほうがいいと思いますよ。(なんでそんなに興奮するんでしょう?匿名なのに)
May 31, 2007
前半の〈暴力〉を基軸におく視座は面白かったです。そこで疑問が一つ湧きました。暴力団や、探偵、警備会社、交通取り締まり、軍事の民間委託への、権力による権利の付与です。
価値判断ですが、是とする見方はできないでしょうか。これは生活感覚からの意見ですが、警察や軍隊では、小回りが利かなくて不便と感じるのです。実際、動いてはくれません。これなら金出してでも、キチンと仕事やってもらった方が助かります。事故を起こした時なども、警察に通報するより、内輪と民間で解決する話はざらに聞きます。ある程度なら、〈暴力〉は市場化してもよいと思うのですが。
June 1, 2007
後半の赤木論文は、私はフーコーの言う「人間の終焉」だと受け止めました。別の言い方をするなら「言論の動物化」。つまりは《赤木論文》なるものから「赤木智弘」が見えて来ない。解釈が拡散してしまうのです。ですから、どの応答も正しいと言え、逆に、どの応答も誤りだと言える。
赤木氏のブログも読んでみましたが、氏の文章は「テキストがベース」になっていると感じました。現実的な感じがしない。これは時代の感性なのだと思います。もはや私たちは、執筆者を想像できない。共通認識である〈人間〉が絶えてしまった。執筆者の残した〈痕跡〉のみを標にするしかない。
言論空間がマタ裂き状態なので、言葉が現実を現していない。その状態を逆手に取って、論理を玩んだのが《赤木論文》です。しかし裏を返せば、マタ裂きである中間地帯は言論の宝庫です。その中間を狙うのが、神保さんの目指してる方向なのかなと。〈人間〉に対して共通のイメージが湧かないのであれば、〈言論〉を象徴にして、言論の動物園を作るのです。
June 1, 2007
最近コメント欄に活気が無いですね。
今回の放送内容とは全く関係無いんですが、先日、宮台真司氏、仲正昌樹氏の対談をまとめた「日常・共同体・アイロニー」という本を読みました。非常に面白かったので思わず二度読んでしまいました。
結構、いいこと書いてるんで紹介します。(人間が”線引きをする”ことを”区別する”として表現されています。)
(P274から引用開始)
私たちは、区別をもちいるしかありません。しかし同時に、ありとあらゆる区別を信じないという態度が要求されます。それが、先に述べた、「人のなす区別を踏まえつつ、永久に信じずに実践せよ」という命題につながります。最後に問題になるのは、そうした実践や、実践を支える認識に、人は耐えられるのか、ということです。問題なく耐えられるだろうと思います。(中略)未規定なものを前にすると足がすくむというのは、私にいわせれば「幼稚園児の思考」です。規定可能なものを徹底的に思考しつくした人間は、それゆえにこそ未規定なものに開かれ、そこから動機づけを獲得するのではないでしょうか。規定可能なものしか前提にできないとする臆病な発想こそが、私たちを様ざまな錯誤や誤謬へと導くのです。(引用終わり)
やはり、実践と再帰的思考は切り離せないということのようですね。部分的に納得できないところも無かったわけではないけれど、宮台さんの振る舞いの源泉に触れた感じがしました。思ったよりネアカな内容の本です。
赤木智弘さんのブログを私も少しだけ読みました。本当にこの人、フリーターなの?、と疑っちゃいましたね。十分に文才もありそうだし、どこででもやって行けそう。
June 29, 2007
なるほど。宮台氏(神保氏も?)白樺派なのですね。
おめでたいです。よくわかります。
天下りの隣人も良心はそうなのでしょう。
地に下って生きた実感があれば感想は全く変わるでしょうなぁ-
>本当にこの人、フリーターなの?、と疑っちゃいましたね
これまた、おめでたい感想ですね。
フリーターの方が正社員と実力が変わることは「ほぼ」ありませんね。
実感;全くといっていいでしょう・・・
ひとは立場によって見えるものが全く違います。
ほんものならば、若いうちに上から下まで素で見るといいでしょう(無理、かな)
素の人間になったらどうか、と考えると簡単なこと。
June 29, 2007
9Bさん
>素の人間になったらどうか、と考えると簡単なこと。
実際にはそう単純には考えられません。
技術開発の場では、非正規雇用者(請負専門業者でない、所謂派遣社員の方)でも正規雇用者でも実力がほぼ同じと言ったらウソになります。学歴は不要と雖も学力(専門技術知識、考える力)は必要です。どんな業種でもよいですが付加価値の高い労働分野ほど、両者の差は大きいというのが実情のように思います。
”素の人間”は同じであろうとも、教育環境(親の経済力、教育に対する意欲など)の格差が、学力及び就業機会の格差を生んでしまっていることは昔から変わらない問題だと思います。
約3人に1人が非正規雇用という現在の日本で正規採用を勝ち抜いている新卒者20代と、同年代の非正規雇用者が、同じ職場で就労して4,5年後には同じ実力になってしまうなどとは、私の経験上では必ずしも言い切れません。両者の間にある責任軽重の差がスキルアップの程度に差を作ったりもします。
総じて言うと、競争の厳しい業界で生き残っている人間はそれなりの人だと思います。ただし、40代以上は時代の恩恵を受けいている世代だとは言えるのでしょう。
>フリーターの方が正社員と実力が変わることは「ほぼ」ありませんね。
>実感;全くといっていいでしょう・・・
それはむしろ、その業界の体質、市場の競争環境を疑って見ることがよさそうに思います。同じ実力なら同じ給料を払うべきなんでしょうから・・・。
July 2, 2007
beat & NSX さん
ごもっとも。技術屋さんからこの反論をいただく事は目に見えていました。(ほんとうにまっすぐに生きておいでですね)
私は、(文科系・理科系を分けるのはどうかと思うクチですが)、文科系大学→秘書・営業を経た人間からすると、バイトと月30万以上の正社員に違いは無いのですね。
人は立場において傲慢になったり卑屈になったり謙虚になったりします。特に日本人は顕著ですね。それをつぶさに見ることになるわけです。バイトだから控えめにしている方は、見ていて哀しいですよ。ホントニ。逆もしかり、いやになるほどしかり。
技術系・理科系の仕事は私は(できないからこそ個人的に)とても尊敬しています(職人として)。一方文科系と俗称言われてるほうはどうかというと、たいしたことはない。一部上場のエリートのほとんども。
こういうのを見ると、最低賃金を上げて、正社員の賃金下げ、福利厚生は抑えて仕方ないと実感します(自分も含めてね)。
サラリーマンというのは、(正直文科系は)誰でもいいのです。
あえていうと、ジャーナリズム(マル激)もそうなのです。
July 2, 2007
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