今週の丸激は上祐史浩氏を招いて、オウム問題にマル激的な考察を加えてみました

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marugeki_289_joyu.jpgマル激トーク・オン・ディマンド
第289回[10月13日収録]
麻原の神格化は大きな過ちだった
ゲスト 上祐史浩氏(アーレフ代表)

<プレビュー>

 先月15日オウム真理教の教祖麻原彰晃こと松本智津夫被告の死刑が確定し、96年の初公判から10年半近く続いた裁判に終止符が打たれた。一方、名前をアーレフに改称した教団は、教祖への帰依から脱却し新しい教義に基づく教団を目指すM派(上祐派)、松本被告の三女を担ぐA派(反上祐派)、まだ態度を決めていない中間派の3派に分裂状態にある。

 オウム真理教時代に教団の表の顔としてメディアに頻繁に登場し、逮捕・出所後はアーレフに改称した教団を代表として率いてきた上祐氏は、現在の分裂騒動はそのまま麻原教祖への帰依の度合いを反映していると説明する。神格化された教祖への帰依から脱し、新たな方向を探る人々が上祐氏のもとに集まる一方で、その行為を教祖への裏切りと見て、教祖とその後継者とされる松本氏の三女への帰依を続ける人々が、A派(三女の宗教名のアーチャリーの頭文字をとったもの)を形成しているというのだ。

 10年以上もの間麻原教祖に心酔し、その権威を絶対視していた上祐氏自身は、偽証罪等の罪で服役中に、教祖の預言の矛盾や不規則発言に対する疑念が頭をもたげ始め、出所後にオウムの起こした事件を自分の中で総括するうちに、松本被告の神格化が教団の暴走を許した大きな原因であったとの結論に達したと言う。「元代表(麻原教祖)は霊的な能力は強かったが、それがイコール神様となることの矛盾に、その時は気づかなかった。霊的なるものへの免疫ができていなかった」上祐氏はそう振り返る。

 また、この期に及んで宗教教団を維持している理由について上祐氏は、「世間から絶対悪とされた自分たちでも、変われることを示す」ことが事件の遺族や被害者への償いの必要不可欠な部分になるとの考えを示した。と同時に、今後、松本被告の死刑が執行された際に心の拠り所を失った信者の受け皿も必要になると説く上祐氏は、来年早々にも新しい教団の設立を計画中であることを明かにした。

 それにしても、なぜたった一人の、傍目には子供じみた発想しか持ち得なていようにさえ見える教祖が、地下鉄サリン事件など日本犯罪史の中でも前代未聞の凶悪なテロ事件を引き起こすまでに、一宗教教団を先鋭化することが可能だったのか。あれだけの大事件を起こした教団が、教祖を乗り越えて、その体質を根本から変えることなど本当に可能なのか。分裂騒動に揺れる中で、賠償問題は今後どうなるのか。上祐氏に一つ一つ問いただす中で、オウム事件を今改めて再考した。

October 14, 2006



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コメント

投稿者 K Y 

さっそく見ました。上祐さん早稲田らしいが、こんなにもベタなひとだったっけ?素朴すぎるんだな。自分の生い立ちや家庭環境をせっせと語る、メンヘラー初期症状であり、宗教から抜け出せました体験談を語る主婦の姿である。そういう話なら百万回聞いた。あの程度の言葉は、充分に絶望した末に発せられる本物のそれではないように感じた。いま、狂う人は非常に多く、その手の人間は2ちゃんにゴロゴロ溢れてるわけで、並大抵の狂い様ではエンタテイナーにはなりえない。彼は今後そういう立場から発信していくのだろうが、むろんサリンを撒き散らした時の輝きは無いわけで、究極のところに届くほどの力強いメッセージ性を持つのかどうか、果たして疑問でならない。やはり直接殺してないのが大きいんだろう。サカキバラの足元にも及ばないと思った。一方で宮台氏は「霊感がある」発言により、また新たな地平に立ったことを祝福したい。

October 15, 2006

投稿者 vox_populi 

 大変興味深く番組を見ました。上祐氏の饒舌さはともかくとして・・・。


 社会から指弾され続けるので過去を否定できないという面と、過去の自らの「超自然的」体験に誠実でありたいので過去を否定しない面とがあり、その上で、過去を全否定せずに麻原を否定(そうは言ってももちろん、修行の先輩としての麻原は否定されていないわけですが)することによって、同じ迷妄の中にある人を救うことができるのではないか--こういうことを上祐氏は言いたかったのだろうと思います。

 その関連で興味深かったのは、上祐氏が「麻原の終末予言は社会についてではなく教団について実現したのではないか」と言い、麻原の予言を否定せず肯定することを通じて麻原を克服しようとしていたところです。


 個人的には、ポアの教義をどう否定するかという具体的な論点について明確な説明を聞きたかったところで、それがなかったのは残念でした。確かに、教団として社会を邪悪視するのをやめるというような話はありましたが、出家者を擁するという構造が維持される限り、社会から自らを分かつ論理・倫理が再生産されるのは避けられないのではないでしょうか。

October 15, 2006

投稿者 the catcher in the sea 

事件の責任の問題から番組を始めなかったので(神保さんは敢えてそうしたとおっしゃっておられましたが。もう少しその点について説明していただきたかったです)前半の段階ではバランスの悪さを感じましたが、最後まで見れば、それなりに番組のバランスは取れているように思いました。

I まず番組の進行において気になった点が二つあります。
(1)上裕氏の話を、宮台氏の薀蓄によって強化している側面はないのか。学者の発言は、お墨付きの機能を果たしてしまうことには慎重であるべきだ。(宮台氏は、そんな批判は想定内で戦略的にやっているのだ、というかもしれないが)

(2)「オウム事件から学びをえたい」という宮台氏の主張は理解できる。だから「オウムを通して見えてくる社会的問題の大きさ」という論点なら分かる。しかし、それが「オウム教団自体が大きな意味をもっていた」という論点にすりかわらないように、常に注意しなければならないのではないか。社会的問題の大きさという論点を、オウム(現アーレフ)の免責に使用してはならないと思う。

この点には慎重でないと、「あれだけの大事件をおこした教団からこそ担える大きな役割がある」(上裕氏はそのように考えているようだが)というような形で、アーレフの宣伝になってしまう。

II 次に上裕氏の発言内容についてもっと説明が欲しいと思った点です。
(1)ある種の超自然的体験(以心伝心、第六感、気、できすぎた偶然のようなもの)を信じたいという部分はよいとしても、超能力については、上裕氏はちゃんと否定できているのだろうか。今でも、人間は宙に浮かぶことができると思っているのだろうか。この点について明確な発言が欲しいと思った。

何か特別なパワーを身につけることだけが宗教的目的を実現する手段ではないことを自覚してほしい。個人的には、このあたりがどうも今でもヤバイと感じる点である。

(2)私も、ポアの教義をどのように否定しているのかという点について具体的な発言が欲しかったと思う。過去を反省しているというのなら、新教団では教義の中に「不殺生戒」を明記すべきではないか。

III 最後に上裕氏のパフォーマンスについてです。
私もあいかわらずの饒舌だなぁという印象をもった。全体的にはソフトになったが、話をしているうちに自分に酔ってくるところも昔と変わらない。リテラシーをもたない人がこの映像を見たときの効果が心配である。

October 15, 2006

投稿者 沈思黙考 

 豊かな暮らしへの憧れがあった近代過渡期の方が、生き甲斐を見出しやすかったという身も蓋もない事実。 豊かさという受苦・・・豊かさの強度もやがて逓減し、避け難く訪れる退屈・・・を露わに示したのが、オウム真理教でしょう。 もっとも、世界の大多数が経済的困窮者によって占められている状況では、豊かさを享受する者が陥るニヒリズム・・・無意味・無根拠という受苦に彩られる "終わりなき日常(=近代成熟期)" が、対岸の火事なのも、これまた身も蓋もない事実なのかもしれません。 とまれ、わかりやすいものにすがりたがる、或いは、拠り所を求めたがる傾向に警戒的でない限り、"輝かしきザ・ネクスト・ステージ(宮台真司著『終わりなき日常を生きろ』)" なる精神的覚醒(アムロ・レイの如きニュータイプ)に惹かれたオウム信者を嗤うことなど、とてもできない相談です。
 宮台真司先生のような理論言語の達人は、言語(=コミュニケーション)の空虚さを深く自覚されたニヒリストです。人は表現(=コミュニケーション=論理)に動機づけられ、とても楽しい経験を享受することができる訳ですが、ここで自覚すべきなのは、人がコミュニケーションを制御しているという因果律の反転、すなわち、表現が人を振り回すのだ、という社会システム理論への感度です(何せ "表現=意味" の行き着く先は "無" ですから・・・)。 誰でも、表現に酔い一体化した経験があるもの・・・
複雑化した現代社会では、直接体験よりも間接体験が幅を利かせるため、人は表現に拠り所を求めがちです。 表現に拠り所を求めたがる傾向を持つ人ほど、表現に振り回される・・・ 現代社会のこうしたメカニズムに敏感であれ、というメッセージを宮台真司先生の御著書を通じて、私は受け取りました。
 論理の苦手な方が自覚すべきなのは、論争に敗れることは、相手の論理に従うこととイコールではないことです。どんな論理にも必ず穴(=前提)があるんですから・・・ 例えば、現代社会では、地縁・血縁に基づく封建的経済活動は後進的扱いを受ける一方、イチロー選手のように能力に基づく経済活動は、歓迎されています。 縁故はダメで、能力差はOK!という "表現"。いったいどこに根拠があるのでしょうか? これでは、能力に自信のない大半の人間が浮かばれません。 相手の土俵で戦えば必ず敗けてしまう弱者(=能力に苦しむ人)が、価値転倒すること(=縁故OK!)でルールそのものを変更して、生き甲斐を得る。 或いは、縁故も能力もない弱者のルサンチマン・・・"感情のゴミバケツ" と云われる 2ch なる価値転倒した "表現" を "悪" と片付けて良いものでしょうか?
「真理の洞察は世界の改善とは独立の価値を持つ(永井均著『倫理とは何か』)」ことに自覚的であれば、善悪などルール次第だと得心できるはずです。
 八万四千の法門を有する仏教・・・真理(=「空」)への道は多様です。 「表現(=コミュニケーション=超越論的主観=論理)による動機づけ」を味わいつつ(人=主、コミュニケーション=従)も、振り回されない(コミュニケーション=主、人=従)ためのリテラシーとは、表現を支える表出(=根源的未規定性(宮台真司先生)=私(永井均先生))への目配り・・・「表出による動機づけ」への気づきです。 自らの方法論を開示しつつ、過剰ともいえる表現を通じて、慈悲を示されている宮台真司先生の「表出による動機づけ」とは何でしょうか?
僭越ですが、私同様「いい格好をしたい」ということではないでしょうか?
さて・・・端的に述べますが、「いい格好をしたい」という動機づけは、悪いことでしょうか?
 時間を裂いて考える器量を持つ者にのみ開かれているマル激トーク・オン・ディマンド。 リテラシーを求めるが故に、間口を狭めざるを得ないという隘路を、視聴料の安さで切り開こうとされている神保・宮台両氏に、過剰なまでのわかりやすさを求める姿勢は、どんなもんでしょう? 表出の源泉をどこに置くかで、答えは変わる訳ですが、わからなさに耐えることも、生き甲斐になること・・・偶然性に開かれ、生の源泉となり得ることこそ、リテラシーの教えなんですがね。


生きることの意味に苦しむオウム信者。
過酷な生存環境で苦しむ途上国の方々。
「これからの社会は、・・・「わかりあえないことをわかりあう」で終わる可能性も大いにある(宮崎哲弥著『憂国の方程式』)」。 表現を通じて表出を擁護されている宮台真司先生御自身、表出如きでニヒリズムを克服できるとは到底考えておられず、「顔で笑って心で泣く」毎日でしょう。
以前読了した宮崎学著『オウム解体―宮崎学VS上祐史浩』同様、神保・宮台両氏を前にした上祐氏は、気取ったところで見透かされることを自覚されていたようで、内を開くことに躊躇がない "Wellness" な応対をしていたと思います。 個人的には、アーチャリー(三女)の凡庸さと、オウム信者の少なさを知ることができたことが収穫でした(団体規制法の弊害に気を配りたいものです)。
 悩める日本人のグル・・・宮台真司先生の言葉(『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』より)。
「グルを離脱することが最終解脱なのか、グルと合一化することが最終解脱なのか、・・・どちらを選ばせるかはグル次第なのである。」
グルの愛情の有無が最終解脱を分岐させると仰った宮台真司先生の御選択は、麻原彰晃氏とは対照的に "離脱" です。
 弱者とは悪いことではありません。拠り所を求めがちな弱者を引き受けた新々宗教・・・上祐史浩氏の御健闘を深くお祈り申し上げる次第です。

October 16, 2006

投稿者 sheepdog 

 人間というのは徹頭徹尾、「良くも悪くも」変わらないものだなぁと、改めて認識しました。まあ月並みな感想ですが(´・ω・)
 しかし雄弁(というか多弁)で自分の失敗を糊塗するタイプの人は、多分自分が失敗したことにすら気がついていないのかなぁと。この人は本当に幸せな人なんでしょうね~

 

October 16, 2006

投稿者 椋代能行 

上祐氏は気がついていらっしゃらないかもしれませんが、AUM問題というのは、実は、世界新秩序問題なんだよね。
http://www.state.gov/secretary/rm/2005/43655.htm

過去に二年に亘って記者クラブ報道を精査すると、見るべきものが見えてくるはずですよ。

椋代 能行

October 16, 2006

投稿者 Che 

 まず、今こんな番組を作れるのは神保さんしかいないだろうし、放送できるのもビデオニュースしかないだろうと思うので、その点を評価します。


 内容で面白いと思ったのは大きく3つです。


 第1点はオウム信者が一線を越えてしまったことにおいて、霊的体験がどのような役割を果たしていたのかということです。
 オウム事件当時、高校生だった僕はオウムに一定のシンパシーを感じざるを得ませんでした。どうしてそう感じたのか、大体わかったような気がしていたのですが、それならば一線を越えてしまった彼らと、越えないでいる自分の違いは何だったんだろうか。
 なるほどそういうことだったのか、と大分腑に落ちた感じがしました。


 第2点。番組を見ていると、これまでのマル激で宮台さんがおっしゃってきたことと、上祐氏の主張がどうにもかぶって見えてしかたがなかったんですね。
 例えば「戦後、日本はやってこなかったけど、ドイツはやってきたこと」とかぶって見えてしかたがなかった。
 上祐氏らのグループが麻原氏をどういう存在として位置づけるかについては(番組内ではキリストを引き合いに出していたけれども、むしろ)我々がA級戦犯をどういう存在として位置づけたらいいかという話とかぶって見えてしかたがなかった。
 「上祐って人は随分勉強熱心なんだな」とも思ったけれど、違和感は残ります。
 本気かどうかわからないけれど本人はやるって言ってるし、それは結果が出始めないと何とも言えないので、「応援はしないがウォッチする」のが妥当な姿勢なんでしょうね。


 最後の第3点は、宮台さんはわかっていたけど神保さんにもそういう体験があったのね、実は僕にもあるんです、みたいな半ばオカルト的な話になっちゃうんですけれどもね。
 ただ僕個人の視点はオカルトそのものではなくて、「それはオカルトだ、として切り捨てられてしまっているもの」に向いています。実はここに個人としても社会としても有効活用できるリソースがいっぱい眠っていて、捨てちゃうのはもったいない。
 特に心身相関です。この分野は最近研究が進んできていて、かなり科学的に語れるようになってきています。もうちょっと言うと、前回の「脳死を死とすべきか」という話とも若干絡んできたりもします(つまり脳研究の結果として、脳だけがマインドを生み出すわけではないことがわかってきたということです)。
 だから(冗談でおっしゃったんでしょうが)番組で超能力をやるくらいなら心身相関をやってもらいたい …というのは結構本気の意見です。

October 17, 2006

投稿者 Gershwin 

上祐さんの放送回を見て思い出したことを少し書きます。


 15,6年前だったか、あるオウム信者(当時23,4歳くらい。現在も多分、幹部クラスだと思います。A派?。)と個人的に話す機会がありました。


 当時、オウムが何かとメディアで取り上げられていて、私個人は何だか奇妙な集団だなという程度の認識でした。よい機会と思ったので、入信の動機、オウムでの修行目的、麻原代表に対してどう思うかなどについてその人に聞いてみたのでした。


 確かに宮台さんが言われるとおり、その人の入信動機は貧・病・争に悩んでといったことでは無かったですね。生きるのに苦しむという感じでもなく、「生きる意味を見つけたい」とか「やりがいのあることに邁進したい」といった青少年が抱えがちな悩みと、元々精神世界のことに関心があったということが結びついて入信に至ったようです。ヨガで体の調子がよくなったということも入信動機の一部になったとも言ってました。入信する前は左翼活動をほんの少しだけやってみたことがあったようですね。


 麻原代表の空中浮遊とか水中に長時間潜るとかいったことについて、あれは本当なのかと尋ねてみました。その人は「ソンシの超能力のごときは自分の入信動機には殆ど関係ない。本当に空中浮遊するところを見たことは無いが、ソンシであればひょっとしたら出来るのかも知れない。」と言っていました。


 修行目的については「欲望を減らして楽になりたい。」、「解脱したい。」、「死ぬのは怖いと思う。」と言ってましたね。たしか「解脱すると殆ど食べなくても楽に生きていけるようになる。」とも。


 修行は一人ではできないのかという問いに対しては「教団にいって修行する方が、効率がいい。」とのことでした。
(余談です。話が終わって一緒に定食屋さんで食べたのですが、その人は修行中でおなかがすいていたのでしょうね。俗人の私がごはん普通盛りで、その方はごはん大盛でした(笑)。)


 また「ニュースステーションで言っていることが正しいわけでは無い。」、「オウムの情報網をなめてはいけない。」、「軍隊を持つと戦争に巻き込まれるから、持ってはいけない。」、「ハイゼンベルグの不確定性原理は承知しているが、この世に”絶対”はある。」と言っていたことも印象に残っていますね。


 そして、当時の私が「就職して社会人としての経験があって、ある程度世間を知っているというわけでないのに、なぜそこまで世の中に対して見通したような、断定的な見方ができるのか。」と聞いたところ「そんなことは分かっている。」という回答でしたね。


 そのときの私のその人に対する印象は「自分が世間知らずだということをどうして自覚できないのだろう。随分と幼稚な考え方をするんだな。」というものでした。しかしその後、オウム事件のニュースを見てなるほどと思いました。自衛隊、警察や一流企業の中に信者がいるとか、村井さんのように麻薬の取り扱いで裏社会と接触するということがあったから、それなりに世間情報を得ていたということなんですね。人間の成熟は無いが、自分は世間が良く分かっていると思い込んでいたのかもしれませんね。


 他の信者の方は分かりませんが、幹部クラス信者ともなると、分かり易いものにすがりたいという態度では無いような気がします。働き甲斐のある会社に入れてよかった、一所懸命やるぞというような感じに似ているんじゃないですかね。今にしてそう思います。


 上祐さんは法理に帰依し、人間を神格化することは無いとのことですが、私はそれでも同じ誤り(集団的暴走)をする可能性はあると思う。神保さんはこの点に関心を集中したかったように思うのですが、今回の放送ではあまり収穫が無かったようです。日本人の集団的組織暴走は団体規模の大小には関わらないとは言えそうですが・・。(それとも脳内のセロトニンの量で決まっているとかいう話なんでしょうか・・・。)


 麻原元代表が処刑された場合、A派は減少してしまうような気がします。帰依する対象が麻原個人だというならば、その人間が死亡した場合には、その信仰から醒めてM派に移ってしまうということにはならないでしょうか。殉教者としてのより高いレベルの信仰対象にはならない気がするのです。麻原がいないから三女をトップに据えるなどとは、お世話になった故人のご家族に恩返しをするというごときに過ぎない気がします。宗教とは関係無い話のように聞こえます。


 また、知り合いに執拗に誘われて自己啓発セミナーというものに一度だけ出たことがあります(90年代)。こちらは生きるのに苦しんでいる人たちの集まりだったとはっきりと言えると思います。宮台さんの言われている日本に輸入されて間もない頃のセミナーとは多分、受講者層は大いに異なるのでしょう。たしかセミナーの目的は人間関係をもっとうまくできるようになる為だと講師が言っていたような気がする。自己肯定感(自信)を持ちましょうとも言ってましたね。たしかにグループワークの中で人格が変わったようになる人もいて、目の前でそれを見たときは、どんな映画・小説よりも面白いと感じました。


 私自身は自己啓発セミナーによって特に感化されませんでした。今にして思うと、自信が持てない人たちばかりがそのセミナーに集まったというよりも、現代日本人の多くが自信を持っていないということかもしれません。マル激の論調で言うところの、宗教も無い社会で入れ替え可能な(マニュアルと役割に基づいた)コミュニケーションを繰り返した結果ということなんでしょうか。
 

October 22, 2006

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