脳死や臓器移植についてあらためて根本的なところから議論してみました

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 宇和島のちょっとアブノーマルな臓器売買事件を受けて、臓器移植や脳死問題が、今現在どのようになっているかを少し調べてみたところ、臓器移植法の改正案が本国会に提出され、それが可決する可能性が高いことがわかりました。そして、更にもう少し調べてみると、1997年に臓器移植法ができた当時と比べて、脳死や臓器移植の問題点もかなり明らかになってきていることもわかりました。

 しかし、にもかかわらず、世の中は臓器移植の恩恵を礼賛する空気に満ちているような、そんな気がしたので、ここであえて脳死移植に反対の論陣を張っている東京海洋大の小松美彦教授に来ていただいて、なぜ小松氏が脳死移植にも脳死を人の死として認めることにも断固反対しているのか、その理由を徹底的に聞いてみることにしました。
 小松さんの意見に賛成の人にとっても反対の人にとっても、考えるところの多い議論になったのではないかと思います。
 私自身はまだ全部の臓器のにマルのついた(つまり、脳死の暁には全部持っていくことを認めている)ドナーカードは持っていますが、私がこのカードにマルを付けた1999年の時点では、脳死についても臓器移植についても、ほとんど何も知らずに丸を付けていたことだけは認めざるを得ませんでした。
 小松さんの指摘通り、これまでとかくレシピエント側からばかりこの問題を見てきたので、自分の中の臓器移植問題に対する認識の中に、ドナー側の視点が欠けていたことは否めないと感じています。しかし、たとえドナー側の視点が入ってきても、やはり臓器移植には一定の合理性や公共性というものが残っているのではないかと思いたいのですが、収録から一夜明けた土曜の時点では、まだ100%の自信を持って、そう言い切れないのが実情です。
 今回の議論では最後は自己決定権論争にまで話が及んでしまったので、ちょっと私自身まだ消化しきれていない部分もあるのですが、ちょっと無責任な言い方を許していただければ、今回の放送を皆さんにとってもこの問題をあらためて考えてみる一助としていただければ、それだけで私としては十二分に幸いです。現時点ではそこぐらいまでが、正直のところ精一杯のところです。
 ぜひ皆さんのご意見を聞かせてください。

marugeki_288_komatsu.jpgマル激トーク・オン・ディマンド
第288回 [2006年10月6日収録]
私が脳死移植に断固反対する理由

ゲスト:小松美彦氏(東京海洋大学教授)

<プレビュー>

 四国の宇和島で金銭のやりとりが介在する腎臓の生体移植が行われていたことが明らかになり、衝撃を呼んでいる。この事件そのものは、お金を貸していた人が、返済と逆融資の見返りに腎臓を提供したが、お金が支払われなかったために警察に訴え出たという、少々わけのわからない話。病院も、まさかそんな背景だとはは知らずに手術をしてしまったと言っているが、いずれにしてもこれは言わば非常にアブノーマルなケースだったために事件が明るみに出たが、借金の肩代わりに臓器提供を求めるなどの事例が水面下で横行している可能性を示唆する事件として注目される。
 しかし、この事件はもう一つより大きな問題提起をしている。それは、この事件を発端に、世論が臓器移植をより厳しく取り締まるべきであるという方向よりも、むしろ臓器移植をより容易にすべきではないかとの方向に傾く可能性が非常に高いということだ。
 この事件のメディア報道を見ると、臓器の売買はいけないことだが、結局は臓器移植の需要が高いにもかかわらず、供給、すなわち臓器を提供してもいいと考えるドナーの数が圧倒的に少ないため、このような事件が起きるんだという言説が目につく。現に、脳死を無条件で人の死と定義し、本人の承諾がなくても脳死者からの臓器の取り出しを可能にする改定臓器移植法の法案が今国会に上程されており、現時点ではそれが可決・成立する可能性が非常に高いとみられている。宇和島の事件も、法案成立を後押しする要因となる可能性が高い。この法案が通れば、日本でも欧米と同様に脳死が人の死となり、欧米並の数の臓器移植が行われるようになる可能性が高い。このこと、つまり国内での臓器移植がより容易になること自体が、一見いいことのように喧伝されているようでもある。
 しかし、科学史・生命倫理学の専門家で臓器移植推進の流れに異を唱える東京海洋大学の小松美彦教授は、こうした流れに対して強い危機感を抱いているという。小松氏によると、そもそも脳死を人の死とする考え方自体が、その後のさまざまな科学的知見によって崩れてきているにもかかわらず、世界はより脳死の定義を緩め、臓器移植を容易にする明らかに危うい方向に向かっていると言うのだ。
 確かに、脳死判定の結果、脳死と宣告されても、まだその患者の心臓も動いているし体温も維持されている。だからこそ臓器移植が可能なわけだが、その体から臓器を取り出そうとすると、患者の体からは汗が噴き出し血圧もあがるなど、痛みを感じる時とほぼ同じような症状が見られるという。そのため欧米では、脳死者から臓器を取り出す際にモルヒネなどの麻酔を打つことが常識となっている。何と、死体が暴れることがあるので、死体に麻酔を打っているというのだ。暴れる死体が本当に死体と言えるのか。小松氏はそう問いかける。
 現に脳死を宣告されながら、その後何年も生き続けているケースも少なからず出てきているし、脳死状態でも、家族の呼びかけには顔を紅潮させるなどの形で反応するケースもあると小松氏はいう。そもそも脳死というものが、単に人間が作った脳死判定基準のもとで反応が見られないという意味であったり、自らの意思表示をするなどのアウトプットはできなくなっていても、インプット、つまり声を聞いたり理解でき
ている可能性はあるというのが、脳死を人の死とはできないと主張する根拠の一つとなっている。
 また、小松氏は、移植をすればより長く生きられるという前提そのものにも疑問を呈する。臓器移植をしなければ助からないが、臓器移植をすれば命が助かり、その方がより長く生きられると考える根拠は、必ずしもデータで裏付けられているものではないと言うのだ。更に、臓器移植を受ければ、その後の人生は免疫抑制剤による免疫力の低下からくる感染症との熾烈な闘いになる。移植した臓器で生きられる年数も限られているケースがほとんどだ。にもかかわらず、なぜそうまでして脳死移植を推進しようとするのか。小松氏は疑問を呈する。
 しかし、そうした実質的な議論を全て横に置いたとしても、小松氏は、何をもって人の死とするかの基準を国や政府が決めることに、根本的な問題があると主張する。人の死生観という人間にとって最も根本的な価値観は、国によっても個人によってもさまざまであるべきで、単に臓器を有効に活用したいというだけの理由で国や権力にそれを決定する権限を与える法案には、何があっても断固反対していくと小松氏は言う。
 1997年に制定された日本の臓器移植法では、脳死を人の死と確定するところまでは合意が得られず、「臓器移植の場合に限り脳死を人に死とする」という少々意味不明な玉虫色の定義のまま見切り発車した形になっている。それから9年。その後、脳死については何が明らかになったのか。日本は欧米並に脳を人間の「核」と位置づけ、脳死を人の死と確定できるところまで、われわれは本当にこの問題と十分に向き合ってきたのか。臓器移植については、受け手側のメリットばかりが強調され、その
全体像が理解されていないというようなことはないのか。宇和島の事件を発端にあらためて浮き彫りになった疑問点を、脳死反対論者の急先鋒の小松氏にぶつけながら、今あらためて臓器移植と脳死問題を多面的に考えてみた。

October 7, 2006



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コメント

投稿者 Sora 

やはり印象的だったのは、脳死を人の死と確定することによる脳死体を利用したビジネスの拡大だと思いました。もし、私が良心的な医学研究者だとしたら、この法案が通ったら真っ先に、脳死が確定した人体の脳に精密な検査装置を埋め込み、通常の脳波測定器では測定不可能な微妙な脳波などの計測を試みます。恐らく、衝撃的な結果が得られるのではないでしょうか。

October 11, 2006

投稿者 erskin 

こんにちは。まず今回このような難しい話題に敢えて取り組まれた神保、宮台両氏に敬意を表したいと思います。
私は医師として何度か脳死判定の現場に立ち会ったことがあります。個人的には脳死を人の死と認めることにはいまだ抵抗がありますし、なし崩しに行われようとしている臓器移植法の改正(改悪?)にも疑問を感じています。そういう意味ではゲストの小林氏と考え方はある程度近いのかもしれません。ただし、今回のマル激では一つだけひっかかる部分がありましたのでそれについて書かせていただきます。(実は、同様な疑問を、以前マル激で遺伝子組み替え作物について取り上げたときにも感じました)


宮台氏も番組の最後に指摘されていたように、やはり脳死の概念および脳死判定の実際について明確に理解している人物(必ずしも脳死移植推進派でなくてもかまわないと思います)の存在が必要ではなかったでしょうか。(決して、必死にバランスととろうと努力されていた神保氏が役不足だったと言いたいわけではありません(笑))
小林氏のお考えはよく分かりましたし、共感できる部分も大いにありました。ただ、提示されたデータの解釈の仕方や心臓疾患の治療の現状、およびその将来性、脳死判定の実際、などについての小林氏の指摘には専門家なら首を傾げたくなるような部分が少なからずあったのは事実です。
また、脳波検査の信頼性や、移植の代替療法の可能性などを、ああいうふうにテキトーに議論してしまって果たしてよかったのかどうかも、個人的には疑問です(ちなみに皮膚の上から間接的に電位の変化を捉えているという点では心電図も脳波も全く同じです)。

要するに、脳死移植に賛成か反対かという立場とは別に、医学的な疑問にもう少し明確に答えられそうな人物(例えば脳死判定の世界における福岡伸一氏のような!)をもう一人加えていただけると、議論が大変分かりやすくなったのではないかと思うのです。

以上、勝手な感想を書かせていただきましたが、今回の議論を通じて私自身の理解も一段と深まったように思います。今後もこういう話題をマル激でどんどん取り上げてくださることを期待いたします。

October 11, 2006

投稿者 erskin 

続けて失礼します。
上記の駄文におきまして小松氏とすべきところを小林氏と誤って表記してしまいました。謹んでお詫びいたします。

October 11, 2006

投稿者 m_m 

 臓器移植についてあまり知られていないことに結構びっくりしました。神保さんがドナーカードをお持ちなのにもびっくり。でも、アメリカ社会では有効な外科手術として捉えられているようなので、それも頷けます。私の友人のアメリカ人(20歳)も、しっかり持っていましたから。
 臓器移植手術それ自体が難しい問題を孕んでいることに加えて、もう一つ疑問を呈したいと思います。
 それは、募金活動を支援する団体についてです。
海外の病院で移植手術をしてもらう場合、数千万円かかります。一般家庭ではとても用立てられないので、「救う会」などが立ち上がり、広く世間に募金を呼びかけるようになります。この時、こういった会の手助けをするのは、専門の支援団体の人達です。インターネットなどを使って、システマティックに活動がコーディネートされてゆきます。しかし、ウェブ上では代表者の名前は一切出ておらず、どの官庁の管轄なのかもわかりません。支援団体側の人物の名は、一人も出ていません。こういった団体の所属がはっきりしないのは何故なのでしょうか?
 患者さんやそのご家族にとって、心強い存在ではありますが、客観的に見て「?」です。 世間から広く浅くお金を集める巧みなシステムに見えて仕方がありません。背後に意図的に移植医療を推進しようとしている力が働いているように見えるのですが、考え過ぎでしょうか? これもアメリカの要望だったりするのでしょうか?
 

October 13, 2006

投稿者 Che 

 ちょっとコメントするのも難しいテーマですが…
 番組内では脳死を死とすることや脳死臓器移植をよしとする意見に対しての反論がなされていましたが、これらの反論は反論として有効だったと思います。論点がかなり明確になってきたように感じました。
 同時に、脳死を死とすることの是非や脳死臓器移植の是非について「なぜするべきなのか」「なぜやめるべきなのか」というような、論点をはっきりさせるための議論って実は今まであんまりなかったんだな、と気づかされました。
 小松さん、宮台さんの意見をさらに覆すだけの再反論を推進派の方ができるのか否か。できるならば聞いてみたいところです。


 さて、脳死が死を巡る問題だとすると、先日向井亜紀さんが記者会見した代理母問題なんかは誕生を巡る問題になりますね。
 ちょこっとニュースで見ただけですが、向井さんの純粋なお気持ちはわからないでもないけれど、それを認めることによる社会的な波及効果を考えてみると複雑な気持ちになってしまいます。
 こちらのほうもいずれ機会があったら扱っていただければうれしいです。

October 15, 2006

投稿者 sollbeans 

私自身は臓器の提供をしたくもされたくもないので「脳死即死」は到底受け入れられないのですが、
ただ、番組中で脳死体を用いた研究がかなりグロテスクであるような論調が見て取れたので、ちょっと?と思ってしまいました。研究成果如何では、むしろ、脳死寸前の植物状態の患者にとって福音となり得るのじゃないかとも考えられる訳で。。。
あと、これは常識だとも思いますが、動物を捌いたりした場合でも、どう見ても死んでいるのにいきなり動いたりするというのは特に珍しい事でもありませんし。。。
それと、死生観や倫理を云々するなら中絶はどうなのかとも思いました。
また、マッドサイエンティストを絡めるようにして脳死移植に異を唱えたりするのも、全体的な印象としてはかなり御都合主義的な風に思いました。
今回、割と長時間ではあったのですが、結局は理屈じゃなく好き嫌いを言合ってただけなのかとさえ思えてきましたがいかがでしょう。

October 19, 2006

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