スニークプレビュー
Tweet 今週のマル激では、和歌山カレー事件をやります。
ゲストは真須美被告の弁護人の安田好弘さんです。
私自身も木曜日に和歌山を訪れ、真須美さんの夫の健治さんにインタビューをしてきました。
実は和歌山カレー事件の最高裁判決は、当初はNコメで「軽く」扱うつもりでしたが、実際に地元を取材してみて、「軽く」やっている場合ではないことを強く痛感したからです。
「軽く」というのは、何もこの問題を軽く考えていたというわけではなく、既に言うべきことはこの番組で言ってきたので、この期に及んでまだ何か言わなければならないことはそれほど無いだろうと、甘く考えていたという意味です。
しかし、実際に取材の門をたたいて見ると、この事件には(にも?)、これまで指摘してきたような「状況証拠だけで死刑にしていいのか」とか、「動機不明のまま死刑にしていいのか」的な言説を遙かに超えた大きな問題があることがわかってきました。詳しい話は番組を見ていただいた方がいいと思いますが、端的に言うと、「状況証拠だけでいいのか」の「状況証拠」自体が、実は非常に不確実で疑わしいものが多いということと、動機は存在しないというよりも、むしろ保険金詐欺のプロである真須美被告の動機は、むしろカレーに毒を入れて人を殺すこととは逆方向に向いていると考える方が合理的であることが見えてきたということです。
(安田さんは、当初林健治・真須美夫妻を逮捕しながら、途中から保険金詐欺は健治さんだけ、カレー事件は真須美被告だけに絞らざるを得なかったのは、カレー事件が2人の共謀ということになると、動機としての激昂説(かっとなってやってしまった)や衝動的犯行説が成り立たなくなるからだと見ています。健治・真須美夫婦の主張は、保険外交員だった真須美さん+元シロアリ駆除でヒ素を持っている健治さん+数人の使用人(+診断書を書く医師もグルだった)らを使って、繰り返しヒ素中毒の保険金詐欺を働いてきたので、そんなプロの保険金詐欺集団がいきなり家の目の前でカレー鍋にヒ素を入れて人を殺すわけが無い。そんなことをしても一円にもならないし、死者が出れば詐欺がばれるだけ。ヒ素詐欺を何度もやってきた自分らに、130グラムのヒ素をカレーに入れればどんなことになるかが、わからないはずがない、というものです。)
つまり、「状況証拠だけでいいのか」、「動機不明でいいのか」どころか、その虎の子の状況証拠や不明であるはずの動機も、実際にはむしろ逆の方向を向いていると考える方が自然であるにもかかわらず、それで死刑にしてしまって、(しかも、ちょっと変な言い方になりますが、真須美さんだけを死刑にしてしまって)、本当にこの国は大丈夫なのだろうかというのが、今回の私の根底にある問題意識です。
更に言えば、裁判員制度との兼ね合いです。これで、動機もわからないし、証拠も物的で確たるものは何も無い場合でも、(そして本人が一貫して全面否認していても)、十分怪しそうであれば、死刑はアリなんだということを、とても多くの人が知ることになりました。(実際はそういう判例はいくつかあるので、これが最初では無いそうですが。)
「推定無罪」だとか、「疑わしきは被告人の利益に」だとかを持ち出す以前に、まずは今回の裁判で検察が真須美被告の犯行であると信ずるに足る理由を、皆さんの目で再検証してみてください。死刑が当然と思われる方もいるかもしれませんし、死刑かどうかはともかくとして、やっぱりこれは有罪が妥当だと思われる方もいるかもしれません。が、やっぱりこれはおかしいと思われる方も、きっと相当数いるのではないかと思います。
証拠の再検証といっても、短時間でそれほど綿密なことができるとまでは思っていません。「マル激法廷」には、安田弁護士という被告側の利益を代表する敏腕弁護士がいて、検察側は誰もいないので(検察側が出てくれるのなら大歓迎しますが、今のところ会見もNG、取材も全部NGなのでお手上げです。決して私たちが弁護側だけを意図的に出しているということではないので、そこは誤解の無いようお願いします)、マル的法廷としては、検察の主張は十分報道されているはずなので、ここでは弁護側の反対尋問を見てみましょうという感覚で見ていただくのがいいと思います。
ただ、私が番組で一番問いたかったことは、真須美冤罪説の可能性を訴えるということではなく、証拠の再検証そのものよりも、そのような疑いが残る中で、メディア報道で平成の毒婦のレッテルを貼られ、確かにヒ素や睡眠薬を使った保険金詐欺を繰り返し働いてきた「怪しからん問題児」ではある林真須美被告を、殺人罪で死刑にしてしまったとき、私たちの社会にどんな影響が残るのかということなんです。本当に、これで死刑にしてしまって、私たちの社会は大丈夫なのかという素朴な感覚です。
自分で書いていて、相変わらずナイーブなことを言っているなとも感じますが、要するにこういうことです。疑わしきも罰してしまえば、社会全体としてはその問題は解決したように見えます。被害者や遺族の応報感情もある程度は回復するかもしれません。社会全体としても、とんでもない犯罪が起きたのに、その犯人が誰かもわからないような不安な状態からは解放されます。未決の事件が残っているのは、誰しも不安でしょう。疑わしきでも何でもいいから犯人と思しき人を厳罰に処してしまえば、その不安からも解放されます。私たちが報道でこの問題をひっくり返したりしなければ、社会の多くの人は、何の疑問もなく、真須美さんを真犯人だと確信し、その判決をもって事件は一件落着し、社会はbusiness as usualを続けることができることになります。
唯一それでは困るのは、もしかしたらやっていないかもしれない真須美さんご本人と、それを信じているご家族くらいのものでしょうか。しかも、そのご本人とご家族も、そもそも億単位の保険金詐欺を繰り返し働いてきた大悪党です。さすがに保険金詐欺で死刑は可哀想ですが、天罰が下ったと思ってもらえば、まあしょうがないでしょう。
仮に、そこでとんでもない不正義(injustice)が行われたとして、一体誰が困るのか。我々の社会は社会全体としては何を失うのか。真須美さんとそのご一家に泣いてもらえれば、社会全体が一件落着、円満に回っていくというのであれば、それくらいの犠牲はしょうがないじゃないかと考えられるのか。その捨て石になったと考えれば、林家としても名誉なことじゃないか・・・、ですか?
恐らくそうなった時の最大の問題は、たまたまその「生け贄」のおはちが自分自身に向いた時に、果たして自分はそう言って納得できるかということでしょう。そして、次にあげる問いが、実は私が一番考えたかったことなんです。
今の日本では、実際に自分がやっていなくても、その「生け贄」のおはちが自分に向いた時は(つまり自分がやってもいないことの責任を負わされたり、逮捕されたりした時は)、それに抵抗せずに(どうせ抵抗しても勝ち目はないし、抵抗すればするほど、厳しい状況に追い込まれていくのが常のようなので)だまってその運命を甘受しましょうという考える人が、案外多いのかもしれないと思えたりもするんです。つまり、日本では実は冤罪が冤罪になっていないケースが、実は案外多いのではないかと。
そして、もしそうだとすると、ちょっとおかしな言い方になりますが、そういう人たちは今回、真須美さんに対して「まあいろいろあるだろうけど、今回はあなたが泣いてくれよ。それですべてはまるく治まるのだから」と言う権利(というか資格というか気持ちというか)を持っている(と感じていた)としても、それほど不思議は無いのかもしれないと思えたりするんですよ。今回はあなたの番だったんだから、とか、運命だよみたいな感じですか。
実際、日本では、そういう状況になった時に戦う人の方がむしろ少数派というか、特異な人のように思われているところが無いとは言えないのではないかと思います。
でも、宮台さんが言っていたように、推定無罪の「百人の罪人を放免するとも一人の無辜の民を刑するなかれ」の喩え話には、それを認めた時、その一人はたまたま100分の1の可能性が偶然回ってくる一人がそれに当たるというのなら、単なる不運な人ということでしかないので、それはそれで不公平ではありますが、それほど大きな問題はないんですね。やっぽりそこにはリバイアサン問題があって、その100人に1人がリバイアサンによって恣意的に選ばれる可能性をもう少し私たちは敏感に考えなければならないのではないかなとも思うんです。
伝統的にはその100人に1人というのは、統治権力にとって不都合な人を抹殺するために使われるなんていうニュアンスで理解されることが多いようですが、今の時代、そんな抹殺なんて(いやいや、国策捜査などと言って、それが疑われる事例は確かに今もあるようですが)ことはそうは起きないかもしれません。
今の時代、100分の1の恣意性的選択は、むしろホリエモンや村上ファンドの村上さんのような、既得権益者かつ体制維持派から見て「怪しからん輩」とか「既存の秩序を乱す輩=既得権益者を脅かす輩」を駆逐する手段であったり、公認会計士の細野さんや鑑定医の崎濱さんのように、制度や法律に不備があるために生じた問題の責任を誰かに背負ってもらわなければ政府として不都合が生じる場合に、こいつに背負わせてしまおうとするような事例、もしくは政権交代の可能性が高まってきる時に、カネの問題では叩けば埃の出るような古い体質を持った野党党首や、現政権に楯を突く人々等に向けられることが可能になってしまっている。
私は一介の記者ですので、これらの事件をきちんと取材したわけではない以上、これがいずれも冤罪だと言い切る根拠は何もありません。しかし、問題なのは、多くの一般市民がこれらの事件に対して、なにがしかの「生け贄」的な匂いを感じていることではないでしょうか。
もしかしたら、この中のいくつか(もしくは全部)は、第三者委員会が堀田さんが臆面もなく発言したいたような、統治権力側(もしくは検察、警察側)には全く落ち度はなく、真に犯罪行為が行われ、慎重な捜査の末捜査機関が満を持して逮捕、起訴を粛々と行っただけの事件で、その裏には政治的な意図もポピュリズムも組織内の出世願望も派閥争いも一切介在していないクリアーカットなものもあったのかもしれません。しかし、それでも必ずこうした事件では、一般市民レベルでも逮捕起訴に至った警察、検察や政府の意図や背景が疑われるようになっている。要するにもう今や日本では、政府が根っこから胡散臭い、疑わしい、インチキくさい存在と思うようになってしまっているということのように思います。
恐らくそれが一番問題なんですね。政府といい、捜査機関といい、司法機関といい、メディアといい、企業といい、そこに良識や良心というものの存在をほとんど信じることができない社会というのは、かなり社会としては病んでしまっていると言わざるを得ないでしょう。
病気なら、治さなきゃ。とりあえず診断から始めてみようかなと。で、おぼろげにでも処方箋(もちろんザ・処方箋ではなく、ア(一つの)・処方箋です)らしきものが多少でも見えてくればかなり上出来かなと。まあ、そんな感じです。
宮台さんは、今回の収録では、今までもマル激をやってきた中で、一番重い気持ちになったと言っていました。珍しいことです。
こっちのコメント欄もあけておきますが、番組に対するコメントは、両方に拡散させるよりも、ビデオニュースの方にください。ただ、私のこの文章に対するコメントやTBであれば、こちらでも歓迎します。ただ、こっちは私の個人サイトなので、私の独断でいくらでも削除しますよ。(と言いつつ、面倒臭がりやなので、今までスパム以外を削除したことはほとんどありませんが。)
April 25, 2009
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