誰のためのホワイトカラー・エグゼンプションなのか
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マル激トーク・オン・ディマンド
第302回(2007年01月12日)
誰のためのホワイトカラー・エグゼンプションなのか
ゲスト:島田陽一氏(早稲田大学教授)
今月25日に召集される通常国会では、労働契約法案、労働基準法改正案、パート労働法改正案といった雇用関連法案の提出が予定されている。なかでも労働基準法の改正案に盛り込まれるホワイトカラー・エグゼンプションについては、推進したい経営側と反対する労働組合側の対立が表面化している。
ホワイトカラー・エクゼンプションとは、管理職以外の労働者に対しても、労働時間ではなく成果に対する報酬を定め、企業と労働者の合意で自由に労働時間を決められるようにするというもので、管理職と同様に、残業に対する報酬の支払いが免除されることから、エクゼンプション(免除)という表現が使われている。
経営側は、日本経済が国際競争力を維持していくためには、一定の年収以上の労働者に対しては成果主義の導入が不可欠であると主張する。しかし連合を中心とする労働側は、現在常態化しているサービス残業が制度化されることになると懸念する。
労働法の専門家で、欧米での雇用実態にも詳しい早稲田大学の島田陽一教授は、そもそも「自律的裁量労働」が実施できていない現在の日本の企業風土に残業を正当化するホワイトカラー・エクゼンプション制度を持ち込めば、労働時間の増加と総賃金の削減が行われることになる危険性があると警鐘を鳴らす。
もともとホワイトカラー・エクゼンプションはアメリカの制度だが、アメリカでは管理職に限らず労働者は広く自律的裁量が認められている場合が多い。上司から仕事を頼まれても、今別の仕事を抱えれて入れば、それを断ることができるような土壌があるというのだ。
一方日本では、90年代の不況と急速な経済のグローバル化の中、「善意と信頼」を前提とする伝統的な日本型企業経営の基礎が崩れ、労働実態と現行の法制度との間に乖離が生まれている。このような状況の中でホワイトカラー・エグゼンプションが導入されても、長年日本の課題となっている「ホワイトカラーの生産性の向上」には寄与しない可能性が高い。
企業側は「ホワイトカラー・エクゼンプションは企業の生き残りに不可欠」と主張する。しかし、ここで言う生き残りの対象は何なのか。日本の企業文化が大切にしてきた家族や地域共同体を含んでいるのか。単に経営者と資本にとって都合のいい「生き残り」になりはしないか。
そもそもなぜ今ホワイトカラー・エクゼンプションなのか。アメリカとは企業風土のベースが異なる日本で、ルール主義に基づくアメリカの制度を導入すると、どのような弊害が起き得るのか。この制度の導入で得るものと失うものは何なのか。そして、今日本が導入しようとしているホワイトカラー・エクゼンプションは誰のためものなのか。島田氏と共に考えた。
January 14, 2007
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第302回マル激 ホワイトカラー・イグゼンプション from Murrielz blog
第302回(2007年1月12日)のマル激は、島田陽一氏(早稲田大学教授)をゲストに、「誰のためのホワイトカラー・エグゼンプションなのか」がテーマでした。...
February 10, 2007
コメント
学問系の人には、シャベクリのプレゼンが下手な人も少なくないとは思うが、今回見た限りではこのセンセーの講義はいささかつまんなそうだ。文字通り専門家として、局所的なトコばっかりを深く調べ上げるのは結構だが、それだけではデータ収集屋にしか過ぎず、ものごとの全体像に迫るような問いかけには「わからない」「知らない」と答えられない。知識が簡単に手に入る今日では、何々に詳しいだけじゃあダメで、もう一歩先に突破する必要があるだろう。どういう基準で教授になれたり、助教授止まりだったりするんだろうか。しかしこれはよくありがちな話。一年間で完全に終わらせなきゃいけない一般教養の講義のほうが、かえってパッケージがうまくまとまっていて、こちらとしても変に深追いして袋小路に入り込まなくて済む、コストパフォーマンス的に良かったりして、実は一番記憶に残り面白かったのは全然関係ない一般教養科目だった、みたいなことになったりする。
January 16, 2007
昨日安倍首相は「国民の理解が得られていない」という理由で法案提出を見送ると発言したようですが、それでも丸激でとりあげられたのは決して「時期尚早」ではなかったと思います。財界がやりたがっている以上、選挙が終わって「国民の理解」が不要になれば、いつでもまた出てくるでしょうから。
先週あたりの毎日新聞で、経団連と連合の方が誌上討論をやってました。その経団連氏によれば、いまの労基法は「工場労働者」を念頭においたものであり、ホワイトカラーにはなじまないとか。。。なるほど、しかしそれならば、ホワイトカラーは法律でタイムカードを禁止したらどうかと思います。遅刻すれば給料を引かれるというのは、まさに「工場労働者」的発想でしょう。しかも、遅刻3回=欠勤1日とみなすなど、懲罰的賃金カットもあたりまえに行われている。年収400万のホワイトカラーのほとんどは、1分でも遅刻しそうになれば血眼になって走る人たちでしょうが、そのようにタイムカードで縛られて、遅刻すれば賃金引かれる労働者が、残業代だけは「免除」される、それをもって「自由な働き方を保証する」などというのは、悪いジョーク以外の何物でもないです。
日本の国会に出す法案を、「エグゼンプション」とか「イグゼンプション」とか小難しい英語名で呼ぶのが「美しい国」の首相の美学なのか。それはともかく、今回の流れで一つ感心したのは、毎日新聞が(他新聞は読んでないので知りませんが)ある時期からこれを「残業代ゼロ制」と呼ぶようになったこと。日ごろ政府の用語に忠実なメディアとしては、めずらしく自分の言葉で記事を書いているように見えました。それが「国民の理解」にどのくらい寄与したかはわかりませんが、大切なことだと思います。
番組で神保さんがしきりに言われていた日本的労働慣行の精神的背景についてですが、私は、「儒教的価値観」とかそういうものではないと思います。私の考えでは、それは日本的「世間」感覚によるものだと思います。職場という「世間」において、みなが働いてれば自分だけ帰れない。これが最大要因だと思います。
「世間」という空気感覚的な縛りは、この国の日常では、道義よりも、法律よりも優先するのです。「周囲の目」は怖い。だからサービス残業が理不尽だろうが、労働基準法にどう書いてあろうが関係ない。たまにドチ狂って、「それって、労基法違反じゃありませんか?」などと小賢しいことを言い出すやつは、黙々と耐えて働いている者達の敵である。ゆえに上司に睨まれるよりも先に、同僚の中で浮いてしまう。みんなと合わせる事、違法であれ、理不尽であれ、非効率であれ、自分だけ勝手なことを主張して周りに迷惑をかけないこと、これが日本の生きたケンポーであり、ローキホーでありましょう。そういう実情をよく踏まえた上での、経団連のご提案だと思います。
参考文献
阿部 謹也『世間とは何か』(講談社現代新書)
アンドレ・レノレ『出る杭は打たれる―フランス人労働司祭の日本人論』(岩波現代文庫)
January 18, 2007
アラア、島田陽一氏、素敵な教授だと思いますけど。
若いころの島田陽子のお父様って感じで。
経済の教授は、いまいち生徒受けが無く、淡々とあきらめた雰囲気の先生が一番良心的だと思いますよ。バリバリの経済の教授は、たいてい詐欺師(竹中平蔵氏のような)かと・・・
ホワイトカラー・エグゼンプションのお話、やはり他の報道よりも進んで解析するのはさすがvideonews。
とにかくも、法案提出も見送られました。
ただ、いつもこの視点が無いのが気になります。
わたしの姉の亭主は、世間一般の周知の一流企業に勤務していますが、誰から見ても、それはダメ社員なんですが、リストラに生き残るんですね。
一方、どう見ても切れ者バリバリの、上司であるお仲人さんはすぐリストラされたそうです。
こういう企業内の矛盾は、大手企業であってもすごくあるのではないかと。(大手のほうがあるのかも)
カミソリみたいな(経営者側から見て、やっかいな)タイプはたいてい即切られ、どう~でもいい人は、安全パイとして残される。
成果主義、実力次第とばかりお題目が唱えられますが、リストラされた真に実力のあるかたは、じつはたくさんいらっしゃると思います。
そのかたがたの無念たるや、いかがなものか。
自殺者も多いのではと推察します。
会社は、もしかしたらすでに実力のある社員を、たいして必要としていないのかもしれません。
べつに、誰がやってもいい仕事なのだと。
それなら、ホワイトカラー・エグゼンプションを提出して社員からバックラッシュがあっても屁でもない、という経営者側の気持ち、わかります。
January 20, 2007
>KY氏
>どういう基準で教授になれたり、助教授止まりだったりするんだろうか
大学教師は基本的に専任と非常勤の二種類で構成されています。専任になると、初めは助教授で、論文を書いたりしてキャリアを積むことで教授に昇進します。つまり、日本の大学では一般的に専任にさえなれば、解雇でもされないかぎり、必ず教授になります。
昇進すると、給料が上がり、「○○部長」のように役職に就く事になったりしますが、役職については「余計な仕事が増える」事を意味するため、あまり喜ばれないことも多いようです。特に研究熱心な研究者ほど、研究以外の仕事を嫌がる傾向にあるように思います。
非常勤講師は、アルバイトと同じです。一般的に一年契約で、個々の契約によりますが給料もあまりよく無いようです。また、専用の研究室もなく、授業時間までの待ち時間や学生の指導には、講師室という全非常勤講師共有の部屋をあてがわれるケースが多い様です。
逆に専任になれば、研究時間や安定した給与、場合によっては設備や組織的支援などが保証され、在任中は不祥事でも起こさない限りは解雇される事はほぼありません。そんなわけで、研究者志望の方は、大学の教師になる事を希望する場合がとても多いわけです。
良い大学教師と、良い研究者は別物です。
大学教師の職務は、大雑把に分ければ、教育・研究・事務の三種類に分けられます。研究だけしていればいいわけでは無いということです。
では、良い研究者とはどんなものか、これは専門によっても個人によっても違うと思います。一概には言えない。ただし、あらゆる世界でそうであるように、優秀な研究者とそうでない研究者というのが必ず存在します。
他方で、これも突き詰めれば相対的な話ですが、教え方がうまい教師とそうでない教師というのも、確実に存在します。その証拠に、どれだけ優れた研究結果を残していても、意味不明な事を言っているようにしか思えないセンセイはたくさんいらっしゃる。つまり、この番組の教授がいくら冴えない印象でも、優秀でないとは言い切れないという事です。私は、分からないことを隠さない素直なおっさんだな、と思いました。そうした彼の姿勢は、番組にとってはともかく、彼の研究にとっては有益なのかもしれません。
ホワイトカラーエグゼンプション以外の話題を長々と申し訳ありません。失礼致しました
January 21, 2007
おまーんさん、僕の雑文にわざわざ丁重なレスをくださって恐縮です。学問オタにとっては、大学の肩書きで社会的信用をつけ、失業といった世俗的な諸問題に悩まされずに、あとは金を貰いながら自分の好きなことやって遊べる・・・最強の環境ですな。師弟関係を築いて推してもらったりとか、登用・昇進で独特の壁はあるかもしれませんが。(その点神保さんの場合、VJ道場で使われてる豪華設備・・・使えるリソースだよな~ 教育実習てことにして私的に使いまくればいいんだし)
ただちょっと前々から疑問に思ってたのは、理工学系以外の「研究」って、どういうのが大学機関に相応しい「研究」って呼ぶんだろうかと。よくアマゾンとかで話題の本を買って読むと、肝心のコアの部分がしばしばガイジンの偉いセンセーの引用ってことが多い。例えば「動ポモ」でいえば、コジューヴとかいう偉い人の概念・用語のパクリなのか、とか思ってしまった。異色のオタクとくっつけてみて反響&知名度up=自分のお手柄みたいな。マル激なら、よく「ルーマンが・・・」とか「ハーバーマスが・・・」とか結局全部ガイジンで、オーソライズされたガイジンの引用を自説っぽく取り込むことで、一般人は納得してしまうみたいな。日本中に社会学科を設置してる大学は山ほどあるけど、そこの多くの学者は一体どういう活動をしてるんだろうか・・・。
January 21, 2007
>KYさん
多忙による放置失礼しました。
>理工学系以外の「研究」って、どういうのが大学機関に相応しい「研究」って呼ぶんだろうかと
誰を雇うかは大学の経営者および関係者が決めます。「相応しいか相応しくないか」という議論自体は、人それぞれとしか言いようが無く、あまり意味がないように思います。理工学系の研究は「大学機関に相応しい」とお考えのようですが、それも自明では無いように思います。
>オーソライズされたガイジンの引用を自説っぽく取り込む
私は、過去の研究成果や思考過程をふまえるのは、当然のことだと思います。引用と盗用は別ものです。
>「動ポモ」
恐らく「動物化するポストモダン」の略なのでしょうが、この書き方で理解してくれる人ばかりではありませんよ。
January 28, 2007
第302回(2007年1月12日)のマル激は、島田陽一氏(早稲田大学教授)をゲストに、「誰のためのホワイトカラー・エグゼンプションなのか」がテーマでした。
今さらながらの感想です。
ホワイトカラー・イグゼンプションが、マスコミでもぼちぼち取り上げられ始め、議論がどのくらい国民的広がりを見せるのか興味津々だったのですが、選挙への影響を懸念した政府・与党が引っ込めて、ひとまずの小休止を得ました。
どうせ、選挙が終われば、また出てくるでしょうから、ホワイトカラー・イグゼンプションをめぐる与野党・労使の攻防はまだ始まったばかりということでしょう。それまでに、議論がもっと広がっていくことを願います。
さて、番組では、話を広げるのになかなか苦労されていたようですが、それは島田氏が話下手というよりも、ホワイトカラー・イグゼンプションをめぐる問題は、現行の労働時間規制のあり方やホワイトカラーの評価方法、長時間労働の実態など、複数の論点を含んでおり、それぞれ各論に分けて議論しないことには、なんとも評価できないものだからと思われます。
少なくとも、近年の労働関連諸法の規制緩和の流れや、労働基準法第41条における「管理監督者」の適用除外や第38条の「裁量労働制」と今回のホカイトカラー・イグゼンプションがどう異なるかといったことを理解しないことには、同制度の是非を議論するのは難しいと思われます。正直、そういった議論なしに「誰のための企業の生き残り」かなんて聞かれる島田氏には同情しました。
おそらく今回のマル激を見て、ホワイトカラー・イグゼンプションがどのような制度か、理解できた人はまずいないでしょう(そもそも、神保さんも宮台さんもあまりよくわかったいないようでしたが)。最低でもボードなどを使った説明がほしかったのですね。
マル激が、ホワイトカラー・イグゼンプションをテーマとしてとりあげたことは、決して時期尚早だとは思いませんが、もうちょっと問題状況の理解と整理に、時間を費やすべきだったと思います。
February 10, 2007
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