新聞への提言(東京新聞10月18日夕刊寄稿原稿)
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なぜ権力チェック機能を失ったかを今こそ再点検する時
今更言うことでもないかもしれませんが、ジャーナリズムのもっとも重要な役割は権力のチェックです。とりわけ、絶大な権力が集中する国家権力の監視は、「それなくしてジャーナリズムに存在価値無し」と言い切ってもいいほど、ジャーナリズムの最低限の責務と言っていいでしょう。
しかし、ジャーナリズム、とりわけその中心的な担い手であるはずの新聞が、その使命を完全に喪失してしまっているとしか思えないようなできごとが、昨今頻繁に起きています。特に朝日新聞が報じたNHKへの政治家の圧力問題と、その報道をめぐる市民社会の反応、そして朝日側の事後の対応は、その冷酷な現実を露わにしたように思います。
この一件では、取材の過程で朝日側にも多少は詰めの甘さがあったのかもしれません。しかし、もし仮にことのあらましが政治家側の主張する通りであったとしても、あの記事には明らかに真実相当性があったと筆者は考えます。政治家側がNHKを呼びつけたのかNHK側が勝手に来たのかなどのディテールにいくつか不確かな点はあったとしても、国政に多大な影響力を持つ有力な国会議員が、結果的に言論に介入した疑いが強いと思われる場合、警鐘を鳴らすことはジャーナリズムとしては当たり前過ぎるくらい当たり前のことです。
その意味で、今回は他にも不祥事が重なったとはいえ、朝日新聞がこの問題で簡単に自らの非を認めてしまったことは、ジャーナリズムの将来に重大な禍根を残すことになってしまったと思います。
このことの萎縮効果は絶大です。「当事者の証言だけでは、あとで相手が前言を翻した時に反論できない。」もし今回の教訓が、このような形で今後のジャーナリズムに足枷となってしまえば、とても権力のチェックなど期待できなくなってしまいます。もともと記者の取材というものは「私は確かに言論に介入しました」と書いた書面に捺印をしてもらうような白黒のはっきりした行為ではないからです。
今回は取材された政治家側が記事の事実関係を否定したとたんに、なぜか朝日側に記事の事実関係の挙証責任を課す風潮が、社会全体に醸成されてしまいました。多くの市民が「朝日が証拠を示すべきだ」と感じていたことは紛れもない事実でしょう。しかし、これが朝日ならずともジャーナリズム全体にとって危機的な問題であることを、私たちは強く認識する必要があります。
朝日は取材の結果、権力の濫用があったと判断するに足る十分な理由があったから記事を出した。これに対して、もし取材を受けた権力側が、それが間違いであると主張するのであれば、本来その根拠を提示する一義的な責任は権力側にあるはずです。しかし、究極の権力者であるはずの政治家は、証拠は提示せずに「あれは間違い」と主張するだけで済まされ、逆に朝日は証拠の提示を求められることになった。
これは朝日新聞自身がもはや社会の中では膨大な既得権益の受益者として権力側にある存在と認識され、権力をチェックするどころか、むしろ朝日自身が市民社会からチェックされる対象となってしまったことの反映だと筆者の目には映ります。
新聞が再販制度や記者クラブ制度、テレビと新聞の同一資本による業際保有(クロスオーナーシップ)を通じた極度の資本集中等々、他の業界ではあり得ないような特権的な地位を享受し続けながら、メディアが抱えるさまざまな構造問題には完全に頬被りしたまま、表面的には善意の権力監視者を装っていることの偽善性を、もはや市民社会はとっくに見抜いているのだと思います。
これは同時に、既存のジャーナリズムがもはや権力監視機関としての市民社会の付託を失っていることを意味します。権力が権力をチェックしても、それは市民側から見れば、単なる2つの権力間の縄張り争いにしか見えないということです。
地球環境問題の分野には予防原則という重要な考え方があります。100%事実関係が証明されていないことでも、後に重大な結果をもたらす可能性のある問題に対しては、疑いの段階から一定の措置を取っておく必要があるという考え方です。仮に動かぬ証拠まで掴めていなくても、権力が言論に介入している疑いが高いと信ずるに足る相応の理由があれば、その段階で警鐘を鳴らすことはジャーナリズムの最低限の責務です。しかし、予防原則に基づく行動が支持されるためには、その担い手側の動機に一筋の曇りも許されません。ジャーナリズムが権力監視機能を果たし続けるためには、自らが既得権益や権力の受益者としての地位を求めない覚悟が必要なのです。
既に既存のジャーナリズムは、権力の監視機能を果たすことが期待されなくなっている。それこそが、今日の新聞が抱える最大の問題のように思えてならないのです。(じんぼうてつお)
November 13, 2005
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新聞の主張の価値は? from KIYOJIROUWEBlog+
最近色々起きてる問題と言うものを把握するためにネット上だけではなく
新聞紙の記事もチェックしているのですが、最近はチェックすればするほど
新聞社のネット社会...
November 16, 2005
1面黒塗り新聞、政権批判、言論の「実態」、主要2紙 from
ポーランド:2紙が1面黒塗り新聞 ベラルーシ政権批判
http://www.mainichi-msn.co.jp/
kokusai/europe/news/...
November 25, 2005
私も似たような意見も持っています from マサガタの我が儘放談
神保さん、番組いつも楽しんで見させていただいております。
以下の記事をJANJANに投稿したことがあり、私も神保さんと似たような意見を持っています。という...
December 4, 2005
コメント
日本のメディアが権力の監視機能を果たさなくなっているのは確かで、神保さんのおっしゃるとおりだと思います。
私が危惧するのは、「メディアは権力の監視機能を果たすべきだ」という意識自体が、新聞記者自身、そして受けての国民の側において、相当希薄になっているのではないかという点です。
選挙のとき、ホリエ某が「政治は権力なんかじゃないですよ」と言ったのが非常に印象的でした。ホリエ氏はかなり正直な人のようなので、彼は多分本気でそう思って(感じて)いると思います。「政治=権力」なんていう感覚は古いと。
これほど権力をふるっている小泉首相が人気があるのも、「権力者」というイメージがあまりないからだろうと思います。最近の政治家や官僚は、言葉遣いだけはなかなか慇懃であって、昔の政治家なら「アスベストの被害者」と言って捨てたであろうところを、「アスベストの被害にお苦しみになっておられる方々」などという。呼び方も、小泉さんだの百合子さんだの聖子さんだの、まあお知り合いみたいな錯覚におちいるように報道されています。
そのような国民的錯覚から、「記者」たちだけが自由であるとは、考えにくい。「権力とメディア」と聞いて緊張する下地がなければ、そりゃあ「朝日が悪い」ということに、なってしまうのじゃないでしょうか。。。
November 14, 2005
NHKと自民党の2議員に対して朝日が全面降伏したことを神保さんはどう受け止めていますか。これは朝日という一新聞社の死なのか、それとも、少なくとも戦後の日本においてジャーナリズムの権力監視機能を代表してきた朝日の死イコールジャーナリズムの死なのか。
ITバブルに踊るライブドアや楽天が既存のメディアにM&Aをかけた際にジャーナリズムの伝統的な価値や公共性を否定してみせても、世の中はそれほど敏感に反応はしていません。単にネット時代にはメディアの役割が変わったことの反映と捉えていて本当にいいのでしょうか。
どうも、社会全体が、ジャーナリズムの機能が低下することの社会的コストについてあまりにも楽観的過ぎるように思えてなりません。
December 24, 2005
beantownさんの御見解へ横槍ですが、ジャーナリズムの機能低下の社会的対価への無関心さへの危惧については、彼等の職場の水準で末期的に進行していると思われ、全く同感です。
私は朝日は死んだというより、寧ろ二度死んだとの見解に立っております。NHKとの一連の動きで取材テープが現実に表に挙がっていないのは、周到な取引きと考えた方がよいのではないでしょうか。
とはいえ、朝日の根回しもしたたかであり、系列の報道STATIONや田原総一郎氏の番組でホリエモン騒動を細部まで検証すると、彼等と自民党との相互保障ラインはここに明示されているとも思われます。詳述は致しませんが。自民党幹部による堀江社長の用法の変遷は注目に値しますよね。
以下はTV朝日の話ですが、尤も象徴的なのは、小泉内閣の郵政解散前後の演出でした。報道STATIONを観れば大変興味深い特典稼ぎが為されていると思います。視聴率目的だけじゃあ説明がつかないですね。
鶴保・野田夫妻を追い回し妙ちくりんなコメントを引き出した挙句、解散となれば、すぐさま刺客一号の小池百合子氏を旧地元の事務所まで追って、涙で売り込みました。仕上げは、各党党首級座談会に於いて、纏めを古舘伊知郎氏が安倍晋三氏に振って完全に丸投げしたわけです。これは空恐ろしい光景でした。NHK問題との相殺ではないでしょうか。現場は厳しく非難されるべきですが、思うに誰も指摘しておりません。ここが朝日の取引き線ということでしょう。
あとは要所での猪瀬直樹氏の用法ですね。道路公団の不祥事を暴く過程で懇談会にカメラが入ったタイミングと切り取り放映時間の匙加減、内田副総裁らに詰めいるタイミング、実利の選択は明瞭ですよ。こちらは一概に悪い取引きとも言い切れないとは思いますが。小泉内閣の支持率の調整役を率先して担ってきた媒体と言って差し支えないのではないでしょうか。
直近では、12/16金の放送回は多様な観点から興味深いですよ。あと忘れてならないのは、犯罪被害者実名報道を訴える各局著名キャスター陣の記者会見。会場にいらした田原総一郎氏も当日前までは、あまり深刻に取り上げてはいませんでした。
敗戦記念日だったか、深夜に田原氏や筑紫氏を交えた座談会がありました。これも象徴的です。
ところで、ネットはプログラム言語の構成上も体裁が優先しているので、気付かぬうちに内容が二の次となりことば自体の力が削がれ行くのは、無理からぬことではないでしょうか。日々心掛けるしか有りませんが、一般に、この点は、余りにも蔑ろにされていると思います。劇場化はここでも進行中です。「小泉劇場」は寧ろ必然と診て宜しいかと思います。
December 24, 2005
神保さん
新聞の折り込み広告について。これはなぜいつまでも続いているのでしょうか。
私は新聞にもう何も期待していないのでチラシ広告が全てネットで見れるようになれば、本当は新聞購読をやめたいと思っています。ネットのダイレクトニュースとマル激、多少のTV番組、本にさえ触れていれば新聞は不要と感じるからです。
しかし、スーパーのチラシが無いと家内が普段の買い物に困るという理由で仕方なく新聞を取り続けています。大手スーパーの場合はHPでデジタルチラシが見れます。しかし地域のデジタルチラシ広告をまとめて便利に見れるようなHPがあれば、その時こそ新聞を購読する人が激減するんじゃないでしょうか。すぐにそうならない理由は、PC操作のできない人の存在とか、紙チラシの方が効果が高いとか、再販特権で紙チラシ広告費が安いとかそういうことでしょうか・・・。
January 8, 2006
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