これはジャーナリズムの生き残りをかけた戦いだ
――普通の産業として通用するメディアへ脱皮せよ――

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【特集】新聞メディアのゆくえ
これはジャーナリズムの生き残りをかけた戦いだ
――普通の産業として通用するメディアへ脱皮せよ――

神保哲生(ビデオニュース・ドットコム代表)

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 インターネット時代が到来し、新聞やテレビが衰退していることは、誰の目にも明らかである。しかしながら、既存のメディアに取って代わる新しいメディアが現れたのかといえば、それにも疑問を感じる昨今である。

 既存のメディアが、ジャーナリズム精神もネット社会に対する認識も欠けるなか、インターネット時代のメディアのあり方をどのように捉えていけばいいのか、この先新聞やテレビはどのようなポジションになるのか、またジャーナリズムの生き残りはあるのか、2000年1月からからインターネット放送局を立ち上げて、インターネット時代のジャーナリズムの実践に挑んでいるビデオジャーナリストの神保哲生さんにお話を伺った。

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ジャーナリズムの担い手がいない空白の状態
 インターネットを語る場合、その概念を混乱しないように気をつけねばなりません。メディアは伝送路とコンテンツから成り立っていて、活字メディアには宅配網や書店網といった伝送路があり、テレビやラジオは電波が伝送路になります。インターネットという時、そのような伝送路、つまりインフラを意味しているのか、インターネットネットというインフラを使ってネット上でコンテンツ(番組や記事)を提供するコンテンツプロバイダー(CP)を指しているのかをめぐり、混同した議論が見られます。メディアとは、「媒介者」という意味でしかありませんので、「インターネットという新しいメディア」という言い方では、言っている人と聞いている人のイメージが一致しない場合がありますので、正確に述べていきたいと思います。

 インフラとしてのインターネットが登場するまで、既存のメディアはデリバリーパス(伝送路)が非常に少ない中、それを持っているだけでメディアとしての地位を確たるものにすることができました。希少性の高い伝送路を持っている(あるいは割り当てられている)ことが、メディアにとっては最大の特権だったわけです。しかし、誰でも利用できるインターネットという伝送路が登場したことで、伝送路を持っていることの特権的な価値が大幅に低下してしまいました。伝送路を持っているだけではメディアが成り立たなくなってしまったわけです。

 現時点ではまだインターネットにも回線の容量の限界などがあり、今すぐ放送に取って代われる状態ではありませんが、これは時間の問題で解決していくと思うので、事実上誰でも使える伝送路が無限に存在する時代が到来したと考えていいでしょう。この伝送路は無論、既存の放送事業者や新聞メディアも使えるし、新しくメディア事業に参入しようとする事業者や一般の人も使うことができます。そういう意味で、新しいインフラ(プラットフォーム)としてのインターネットが生まれ、それによって伝送路の希少性の上に成り立ち、その特権の上にビジネスモデルを構築していた既存のメディアは抜本的なビジネスモデルの改変を迫られているというのが、インフラとしてのインターネット登場の意味合いということになります。

 一方、いままで伝送路を手にすることができなかったために、不特定多数の人々に情報を発信する能力を持つことができなかった人々が、インターネットというオープンな伝送路を手にしたことで、CP(コンテンツ提供者)という意味での新しいメディアが生まれる素地ができてきました。元来コンテンツは、新聞・テレビ・雑誌の独壇場でした。それは彼らだけが伝送路を持っていたからです。例えば、テレビの番組制作会社は昔からありましたが、独自の伝送路を持たない制作会社はテレビ局の下請けとして番組を作ってテレビ局に提供するしかなかったため、基本的にはテレビ局の言いなりになるしかありませんでした。日本の放送法では制作会社や外部の事業者が、一定時間電波を買い取って放送することはできません。また新聞においても、外部の事業者なり団体なりが、何ページかの紙面を買い取って自分たちの発信をすることはできません。あるとすれば、広告枠を買うしかありませんでした。つまり、ほんの一握りの放送局や新聞社を除き、伝送路を持っていない人たちは自分達の編集判断でコンテンツ(記事や番組)を発信する手段を持っていませんでした。コンテンツをコントロールする権限をもつ人は、マスメディアの中の、ほんの一握りの編集局幹部だけで、その意味ではその影響の大きさを考えると、その人たちの権限はあまりにも絶大でした。このように事実上ごく少数の人が支配しているメディアは、必ずしも健全な状態にあったとは言えなかったと思います。これまでのメディアは伝送路の希少性ゆえに、伝送路を持っている一握りの事業者がコンテンツまで支配をしてしまうことになり、実は決して民主的な存在とは言えない代物だったと言っていいでしょう。

 インターネットという新しいプラットフォームの登場は、もしかしたら世界の三大発明の一つであるグーテンベルクの活版印刷をしのぐ重要性を持つものかもしれません。活版印刷は、同じものを複数印刷することを可能にしましたが、最後の伝達は「紙を配る」という既存のデリバリー方法に依存するしかありませんでした。それに対して伝送路が無限化したことは、長い間伝送路の呪縛に縛られていたメディアが解放された瞬間であり、歴史のなかでのメディア革命でした。それは、個人のブログやツイッター、活字・音声を問わず様々な市民メディア、また私たちのような放送局を開設することなど、そこに参入できる数は事実上無限になったのです。そして、今、CPとしての新しいメディアが、次々とインターネット上に生まれています。

 インターネットの登場で誰もが伝送路を持つこと、つまり発信が可能になり、既存のマスメディアの言いなりにならなくても、多くの人に情報を発信することが可能になりました。長年の課題だった、新しいメディアの登場や個人の発信が可能になり、市民社会は特権階級のみが発信する情報ではない、より多くの言論に触れる機会を得たのです。しかし残念ながら、新しいCPは私が主催しているビデオニュース・ドットコムも含め、特にジャーナリズムの分野では、まだまだ既存のテレビや新聞にとって代わる存在にはなり得ていないと私は考えています。これまで公共的なジャーナリズムのルールやノウハウが、長年既存メディアに独占されてきたために、それが既存のメディアから外にほとんど広がっていないことに一つの原因があると思います。新しくメディアをはじめようと意気込んでみても、基本的なジャーナリズムトレーニングを積んだ記者やジャーナリストがオープンマーケット(既存のマスメディアの外)にはほとんど存在しないため、その担い手医がいないのです。仮に視聴者や読者が喜ぶような面白い情報を発信することができたとしても、ジャーナリズムの基本的な価値であるところの信頼性や正確さ、中立性などに欠けることが多いようです。既存のマスメディアは幾重にも特権によって守られているので、ビジネスモデルは事実上崩壊しているにもかかわらず、まだ給料もよく、終身雇用も維持されています。そのため、既存のマスメディアからそのノウハウが新しいメディアやフリーランスのマーケットに流出してきません。かといって、新しくゼロから記者を育成することは、決して容易なことではありません。

 しかし、新しいメディアの立ち上がりが遅れる一方で、既存のメディアの崩壊は猛スピードで進んでいます。特にジャーナリズムの担い手としての既存メディアの凋落ぶりは、今や目も当てられない状態にあります。電波や宅配網という高い参入障壁と、記者クラブや再販制度などの大きな既得権益に守られているため、企業体としても目の前に出現したインターネットという新しいプラットフォームを活用することよりも、自分達の既存の既得権益を守ることの方が、少なくとも年配の経営陣にとっては優先事項になっているように見えます。そして、日本では死に行くオールドメディアがジャーナリズムの基本的ノウハウを独占しているため、なかなかオールドメディアの外に、それに取って代わることができる新しいメディアを構築できる環境が整わないのです。

 新たなメディアが登場し、古いメディアに退場を迫るのであれば、古いメディアが体現してきた基本的な機能は、新しいメディアがそれに取って代わるので何の問題もありません。しかし、必ずしも新しいメディアが育っているわけでもないのに、新聞・テレビが崩壊の危機にあることは、重大な問題を引き起こします。それは少なくとも新しいメディアが既存のメディアに取って代われるような状態が作られるまでの間、これまで既存のメディアが不十分なりに果たしてきた、権力チェックや公共的なアジェンダセッティング(想定や対立点の設定)といったジャーナリズムの基本的な機能が、社会から失われた状態ができてしまうことです。この空白、いわばバキューム(真空)状態は、権力のチェックという意味においても、公共的なアジェンダ(争点)の設定という意味においても、非常に危険な状態にあると、私自身は深刻な危機意識をもっています。

ジャーナリズムの断絶を懸念
 資本においてもブランド力においても、まだまだメディアとしては圧倒的な力を持っている既存のメディアが、本気でインターネットを活用すれば、自分たちが持つノウハウ、とりわけ報道や制作のノウハウを、インターネット上で活用することは十分可能です。しかし、彼らは特権的な地位を享受してきた既得権益産業であるが故に、インターネット市場での競争に本気で参入しようとしません。それは、彼らがインターネットでの競争に参加すればするほど、特権市場での売り上げを、それよりも遙かに厳しい競争市場での売り上げに置き換えることになってしまうからです。仮に今のテレビ番組を全てそのままインターネットに流したとして、また仮に、その結果、最終的にその番組を見る人の総数はテレビだけで配信していた時代と変わらなかったとしても、実際にネット上で稼げる金額は恐らくテレビの何十分の1か、場合によっては100分の1以下になるでしょう。ネット配信についてはまったく同じことが新聞にも言えます。それは電波を割り当てられ、再販で保障された利益をもとに全国に宅配網を構築することができた、ほんの一握りの事業者しか参入できない特権市場と、業種も問わず、個人でも参入できる自由競争市場との厳しさの違いが、それほど大きいということです。

 新聞が記事のネット配信を充実させればさせるほど、紙の発行部数は落ちていきます。ましてや今のように無料でネット配信をしていれば、尚更です。となると、ネットでは「有料配信」か「無料配信+広告」、もしくはその組み合わせで稼ぐしかありません。しかし、現在の全国紙に掲載されているような総花的な記事だけでは、ネットではどう考えてみても月4000円などという法外な金額は取れません。月400円くらいがいいところでしょうか。それでも現在のような何百万部とか1千万部などという法外な有料読者数は夢のまた夢でしょう。参入者が著しく限定されていた特権時代は、同業他社とのみ競争していればよかったのでしょうが、誰もが参入できるネットの世界は消費者のメディアアクセスタイム(メディアに接触している時間)をめぐる競争なので、報道のみならず、バラエティ、オークション、アダルト、娯楽、資格を取るためのコンテンツなど、ユーザーが求めるありとあらゆるコンテンツと横並びで競争することになります。そこはこれまでのように、5社が横並びでワイドショーとニュースと天気予報とドラマしかないなかで24時間編成していればよかった温室とは違います。私から見ると、既存のメディアはこれまで「温室」どころか「試験管」の中で純粋培養されていた菌のようにさえ見えてきます。そこからいきなりジャングルに放り出されれば、生き残るのが難しいのは当然です。

 しかし、これは同情には値しません。なぜならば、既存のマスメディアはその気にさえなれば、まだまだメディア市場では断然有利な戦いを続けられる立場にいるからです。各社都内の一等地に高層の自社ビルを持ち、全国に多くの不動産を持ち、多くの企業に出資して出資先に天下り、長年の特権のおかげで貯め込んだ内部留保も潤沢です。しかも、あれだけの数の充実したジャーナリスト・トレーニングを積んだ人材を大量に抱え、知名度、ブランド力ともに圧倒的です。戦おうと思えば明らかに有利な戦いができるのに、単に、これまでの独占・寡占市場があまりにもおいしかったので、本当の競争に身を投ずることをためらっているだけの事業者に、なぜ同情の余地などあるでしょうか。

 むしろ話は反対で、私たちは同情している場合ではありません。われわれ市民社会は数々の特権をメディアに与えることで、つまり消費者がそのコストを負担することで、これまで既存のメディアを守り、育ててきたのです。しかし、その担い手たちが、新しいメディア環境に適応できない、あるいはその痛みから逃げてしまっているために、われわれが彼らに付託してきた公共的なジャーナリズムのノウハウが、消滅の危機に瀕しています。彼らがこれまで培って来た、世の中に起きていることを正確に伝え、市民が権力をチェックするための材料を提供し、われわれが優先的に考えなければならない争点を提示するジャーナリズム独特のノウハウは、決して企業努力によってのみ獲得し得た彼らの私有物ではありません。私はそれを公共の財産と捉えるべきものだと考えています。それを私的な理由、それも自分達にとってどっちが特か損かだとか、どっちが楽かといった身勝手な理由から、崩壊させていいはずがありません。長年消費者の負担によってジャーナリズムの担い手としての役割を付託されてきた彼らには、それを守り、育て、引き継いでいく責任と義務があるはずです。

 日本に比べてマスメディアの特権が少ない(日本ほどマスメディアが特権を持っている国も先進国では類を見ませんが)アメリカでは、新聞社の倒産や廃刊が相次ぎ、一昨年あたりからジャーナリズムを生き残らせるためには公的資金を入れることも検討すべきではないかという議論まで登場しています。しかし、これまで特権の上にあぐらをかき、他の業界では100年も前から当たり前のように実施されている数々の営業努力や経営努力もほとんど何もしないで温々とやって特権産業が、「ネットでは生き残れないからお金をくれ」というのは、あまりにも身勝手だし、時期尚早です。これから地を這うような努力をしてみて、それでもやっぱり成り立たなかった場合に、社会として公共的なジャーナリズムをどう生き残らせるべきかを議論をすることはあり得るかもしれませんが、まずは基本的な競争力をつけて、公共的な情報発信の価値を自覚した事業者に脱皮していかなければ、話になりません。

 既存メディアが脱皮するためには、いままでの殿様商売を改めて(まず自分達が殿様商売をやってきたことを認識するところから始めて)、インターネットというメディアの根幹を覆すプラットフォームが登場したことを前提に、新しいメディア戦略や企業戦略を打ち出さなくてはなりません。しかし、そのためには相当な痛みが伴います。私は、既存の新聞社やテレビ局が衰退していくことが問題だと思っているのではありません。彼らに内包されている公共的なジャーナリズムのノウハウは、彼らの私的な資産ではなく、先人たちが様々な変遷を経て公共財として培ってきたものです。ですから、単に彼らのまずい経営判断でそれが消えてしまうことは、非常に問題だと思っているだけです。既に次の世代のメディアが登場して彼らに退場を迫っているのであれば、公共的なジャーナリズムの伝統も新しいメディアが担ってくれるでしょうが、今はそのようにはなっていません。私はジャーナリズムの伝統が、自分たちの時代で断絶してしまうことを真剣に心配しています。

ジャーナリズムを生き残らせるために
 日本は、諸外国に比べてメディアの特権の度合いが段違いに大きい国です。記者クラブや再販制度に加え、クロスオーナーシップ(新聞社とテレビ局が同一資本で結ばれること)の制限がないことなど、ありとあらゆる点でマスメディアは普通の産業ではあり得ないような数々の特権を享受しています。また、これらの特権が基本的には政府によって提供されている点も見逃してはならないと思います。つまり、日本のメディアは統治権力から手厚い保護を受けているわけです。

 現在既存のメディアの多くは、これまでの儲けで貯め込んだ内部留保を使って、ネットでは無料のサービスを提供しています。数年前にNHKが無料でニュースの映像配信を始めたとき、民放は一斉に「民業圧迫」だと反発していましたが、その時私の脳裏をかすめた言葉は「目くそ、鼻くそを笑う」でした。民放各社は、受信料で運営されるNHKがその利点を使って無料でネット配信を始めたら、民放に対してネット市場でより有利になってしまうではないかと言いたいようです。しかし、これは単にテレビ局が自分たちの置かれた特権的な地位に対して、どれだけ無自覚であるかの証左でしかありません。なぜならば、民放も免許事業者です。免許も何もないネットオンリーの事業者にとっては、NHKも民放も強大な特権の享受者に他なりません。免許という特権を得て事業を営んでいる人たちが、そこでの儲けをもとに損を覚悟でネットに無料で番組を配信すれば、特権を持たずにネットで勝負をしようとする新しいメディアが、育つはずがないことは、NHKも民放も変わりはありません。しかし、それを含め、誰もが参入できるのがインターネットの厳しいところでもあり、いいところでもあるのです。

 ただ、そうした動きに対しては、一つだけ苦情を呈しておきます。ネットメディアの将来を考える時に、報道を生業にできるノウハウを教育して人材を育成する作業は、多大なコストと時間がかかります。ジャーナリズムは毎日違う食材を調理しなければならない外食産業と似ていて、取材の対象や問題の性質などによって、その時々でまったく違う「生もの」を相手にしなければなりません。そのため、どんな食材がどんな状態で入ってきても、お客さんに食べてもらえるように調理できる腕が必要になり、そのためにはそれなりの経験と修業を必要とする職業だと言っていいと思います。取材の仕方はルールブックには書いてありませんので、きちんとした記事や映像をつくるには、最低でも4、5年、場合によっては10年程度の経験を積まない限り、一人前にはなれない職業だと思います。
NHKの報道局や全国紙の新聞社では、入社するとまず地方支局に飛ばされ、日々サツ回りや街ネタ拾い、県庁や市政クラブなどで下積みの取材をさせられます。社内の競争もあり、そこからあがってくる優秀な記者を、それなりの要職に配置する仕組みがあります。その間に記者クラブ取材に染まってしまう弊害もありますが、少なくとも記者として最低限必要なノウハウを身につける育成プログラムが、構築されています。アメリカでは、大学のジャーナリズム学科やジャーナリズムの大学院を出ても、まず地方の小さなメディアに散っていき、有能な人間だけが何年もかけて少しずつ名の知れた新聞社に這い上がってきます。ローカルジャーナリズムにやりがいを感じてそこに残る場合もありますが、ジョブマーケット(労働市場)の競争原理と流動性のなかで、有能な記者を育てていく構造ができあがっています。

 しかし、そのように一人前になるまでに5年も10年もかかる記者の育成を、社内に地方支局回りのような育成プログラムを持っていない新しいメディアが独自に行うには、多大なコスト負担が生じます。経営基盤が弱いなかで、毎日の取材や発信をしながら社員を教育することは、かなりの負担です。私はゼロからビデオニュース・ドットコムという新しいメディア作りに取り組んできて、いま11年目に入りました。8年目くらいからようやく黒字になり少しずつ体制を強化してはいますが、次世代のジャーナリズムの担い手を次々と輩出するというところまではまだとても至っていません。いまは、まず取材や記事について基本的なノウハウを身につけた記者を何人育成できるかに挑戦している段階です。その中から、いずれインターネット時代ならではの新しいジャーナリストが育ってくることを期待していますが、10年やってようやく1合目くらいの印象です。ネットメディアの道のりが困難なことは確かですが、このなかでジャーナリズムが生き残っていける構造をつくらないと、公共的なジャーナリズムは本当に死んでしまうのではないかという危機感を持ってやっています。

新聞・テレビ・ネットは並立ではない
 メディアの歴史は、次々と新しいメディアが参入してきた歴史でもあります。紙媒体、これは基本的には新聞や雑誌のことですが、その時代が長く続いた後、ラジオが登場し、そこにテレビが加わり、そのテレビでも地上波のほか、ケーブルテレビや衛星放送などが次々登場しました。そこまでは、ある種「メディアの進化」というレベルで括れましたが、インターネットは「新聞―テレビ―インターネット」という並立で考えるべきではないと、私は考えています。それは先ほどもお話したように、インターネットには新聞もテレビもラジオも全てを包含するプラットフォームとしての機能があるので、これまでのメディアの秩序を根底からひっくり返すような、もっと大きな意味があると思っているからです。その意味でインターネットは、単なる「次のメディア」ではないと理解すべきでしょう。つまり、新聞・テレビに続いてインターネットという新しいメディアが登場したのではなく、インターネットの登場によってメディア環境そのもの、場合によってはメディアの定義さえもが、変わってしまったということです。

 今、既存のメディア、つまりオールドメディアの担い手が、新しいメディア環境のプラットフォームのなかで競争していく能力を持っていないことは、彼らのなかに市民社会が託した公共的ジャーナリズムの伝統、ノウハウ、行動規範などが損なわれていくリスクを我々は抱えている、という認識を持つ必要があります。本来であれば、それは市民社会全体の問題として、これからの公共的なジャーナリズムを市民社会がどう支えていくべきかを考えなければならないところだと思いますが、少なくともこれまでテレビや新聞は、残念ながら市民社会が皆で支えていく対象にはなり得ないような、利己的な行動をとってきました。

 たとえば再販制度は、市場原理とは無関係に製造者が販売価格を決め、それを販売者に強制しても独禁法の違反に問われないという制度で、このおかげで新聞社は世界に冠たる宅配網を全国に構築することができました。それ自体は意味のあることだったと思っていますが、これによって新聞の読者は本来自由市場で成立する値段よりも大幅に高い金額を払わされています。もし、それが消費者の自主的な判断によって行われているのであれば、私自身は必ずしも再販制度自体を否定はしない立場ですが、実際に再販の内実は毎日それを支払っている消費者にはほとんど知らされていません。再販の特殊指定は閣議決定事項ですから、NHKの受信料と同じように、日本の新聞社の経営は、政府が決定した制度のもとでの、半ば税金のように消費者がそのコストを負担することで、支えられています。新聞社はそういう特権を享受したなかで、日本中の放送局に出資して、全国の放送局に社員が天下っています。結果的に日本のテレビと新聞はクロスオーナーシップによって系列化していますから、再販によって人為的に価格設定がされていることは、新聞はもとより、本来は再販とは関係のないテレビも、絶対にその事実を報じようとしません。公取が再販制度の見直しを打ち出すたびに、新聞は一斉に「再販がいかに大事か」、「いかに宅配網の維持に役立っているか」、「離島や山奥でも同じ新聞が読めることがいかに大事か」という再販擁護キャンペーンを打ちますが、「そもそも再販とは何か」、「価格設定はどうなっているか」、「競争原理にさらされるとどうなるか」、「再販によって蓄積した利益が何に使われているか」などの解説は新聞でもテレビでも見た記憶がありません。
繰り返しになりますが、私は再販自体は原理的に反対ではありません。再販によって、新聞を公共財として市民の力で支えていくコンセンサスがあるのならば、それは素晴らしいことだと思います。重要な問題であれば、必ずしも儲からない地味なネタでも、しっかりと取材をして報じてくれる新聞を誇りに思い、本来市場原理にまかせれば1000円程度が妥当な新聞に3000円出そうではないかと考える人が1000万人もいるとすれば、そのような見識や市民意識は日本が世界に誇っていいことだと思います。

 しかし、まったく中身を知らされないまま、半ば騙しのように消費者から上乗せした金額を徴収し、その恩恵で膨大な内部留保を溜め込み、それを私的な利益のために使ったり、意味不明なイベントなどに助成したり出資したりして利権化することは、もし消費者が再販の実態を知れば、決して許さないのではないでしょうか。

 ジャーナリズムのノウハウという公共資産は、多くの消費者たちが高いお金を払って支えてくれた帰結として、その時のメディアの盟主だった新聞とテレビに一時的に付託されたものです。それが崩れていることは、メディアの経営者に大変重い責任があります。市民社会からの「借り物」を、自分たちが私物化して壊したと言われたとしても、その誹りは免れません。

 そのことを前提に、これからのメディアのあるべき姿を考えてみたいと思います。ラジオやテレビが登場するまで速報性を担っていた新聞は、速報性の部分はテレビやラジオに任せて、その代わりにしっかりと取材をして深い記事を書くなどして、メディア内で棲み分けができてきました。しかし、繰り返し指摘しているようにインターネットは、「新聞―テレビ―ネット」という並立の関係にあるわけではないので、今後、ネットのなかに新聞的機能を果たすメディアもあれば、速報的役割を果たすメディアもあり、深い洞察を提供してくれる検証メディアや論説メディアなど、いろいろなメディアがネット上に登場することになると思います。インターネットは紙媒体よりも遙かに配信効率が良く、携帯電話などとも融合が可能なので、今やそのポータビリティ(持ち運びの便利さ)でも紙媒体を上回っているからです。

 つまり、これからは新聞、テレビ、雑誌を含むすべてのメディアが、ネットをいかに使うか(あるいは使わないか)を考えざるを得ないということです。ネットが登場するまでのマスメディアは、いわば高速道路のレストエリア内に5店しか出店を許されていないレストランのようなもので、当然ものすごく儲かっていたわけです。しかも、新たに店を出したくても、宅配網や電波がなければ出せないので、新規参入も事実上不可能でした。気がつくと、全国津々浦々のレストエリアは、その5店で埋め尽くされていました。既存のメディアはそういうところで長年商売をしていたのです。

 しかし、5店しか出店できなかったところから、突如として誰でも出店できる巨大なショッピングモールが登場してしまいました。しかも、これまではテストエリアで焼きそばとたこ焼きくらい売っていれば利用者は満足していたところが(しかもかなり高い値段で売っていても)、モールにはオークション、チャット、オンラインゲームも含めて何でもあります。突然、オールドメディアの専売特許だったジャーナリズムも、無数にあるコンテンツの中の一つに過ぎない存在になってしまいました。食べたり寝たり仕事をしなければならない一日の生活のなかで、人々がメディアを利用できる時間、つまりメディアアクセスタイムは概ね限界があります。いままでは新聞やテレビがメディアアクセスタイムをほぼ独占していたのですが、それがネット時代に突入した瞬間に、同業他社のみならず、全ての出店者が競争相手になってしまったわけです。焼きそば・たこ焼き商法だけでは通用しないのは当然です。

紙媒体の必然性を考えること
 一時、ある大手新聞社が、紙を配るコストを削減するために、販売店で紙面を印刷する計画を持っていたという話を聞きました。販売店までネットで伝送して、より購読者に近い販売所で印刷すれば、中央の印刷場で巨大な輪転機を回し、それをトラックや飛行機で全国に輸送する手間とコストが削減できます。恐らくそれは合理化策としてはあり得るのでしょうが、それならば販売店で刷らなくても各家庭で必要なものだけ印刷する方がはるかに合理的です。どうしてもこれまでの新聞紙面のような紙が欲しいという人が多数いるのであれば、あっという間にどこかの電気メーカーが、現在の新聞紙面のような印刷ができる新型プリンターを売り出すに違いありません。しかし、なぜそうならないかと言えば理由は簡単です。基本的には宅配網をもって紙を配ることが、現在の新聞社の最大の既得権益だからです。だから、ローカルで印刷をするにしても、販売店どまりなわけです。家庭で印刷をする方式にした瞬間に、宅配網は必要ないことになり、有能な記者さえヘッドハントしてくれば、誰でも参入ができる新しいメディアのモデルができあがってしまいます。それは誰でも真似はできますが、再販の余剰利益なしに今から全国に宅配網を作ることなど不可能です。だからそれが新聞社の最大の既得権益であり、新聞社が、何が必要かわかっていてもそこから抜け出すことができないのも、そのためなのです。

 テレビも同じです。たとえば、ある報道番組がリアルタイムでネットでも見られるようになったとします。仮に視聴率が10%(=視聴者1000万人)あったとして、そのうちの3%=300万人くらいテレビを見るのを止めてネットに移ったとします。そうなると見ている人の数は1000万人で変わらないのですが、視聴率が3%落ちることによって減少するテレビの広告費の落ち幅と、その代わりにネットで得られる広告費の比率は恐らく50対1、いや100対1くらいになるはずです。ネットの世界はそれほど厳しいのです。(テレビや新聞の世界はそれほど美味しいのです!)

 現在のテレビや新聞は、それだけ余裕がある、と言うよりも、再販などによって商品と価格が等価関係に置かれていないため、その商品にどんな付加価値を載せるべきかを判断するのが難しくなっているように見えます。結果的に、不必要なことも含めて何でもかんでも総花的に報じているので、どれをとってもネット上で一級品と呼べるようなものになっていないように思います。早い話が、光っていないのです。そこそこ良い物が散りばめられているのに、あえて読もうという動機付けを与えるような魅力がないというのは、保護産業にありがちな、売れない総花商品の典型です。そこだけでしか得られない情報や価値がない商品を人は買わない、だから、自分達が一番勝負できる土俵で勝負するという考え方は、20~30年くらい前からしきりと言われている「選択と集中」の基本中の基本ですが、温室ならぬ試験官育ちのメディアは、まだそんなことすら決めかねている印象です。何でもそこそこ良い物を取り揃えていた百貨店(デパート)業界が、今どうなっているかを、よく考えてみるべきでしょう。

 恐らく、新聞社やテレビ局が生き残るためには、新聞とはまったく関係のない普通のビジネスで成功した人を経営のトップに据えることが不可欠だと思います。「紙」は、宅配網という独占的な伝送路をおさえる上では必須な要素ですが、環境負荷も含め、莫大なコストがかかります。今は横の5社の動向さえ見ていれば安泰なのかもしれませんが、もう少し広くメディア市場全体を見た時、紙にこだわるメリットや必然性があるもの以外を無理矢理紙にすれば、それだけ企業全体としての競争力が削がれます。もし本当の競争があれば、その時点で負けているのです。

 普通の産業は、日々研鑽を積み競争をしながら生き残りをかけて闘っています。それは政府から特権や保護ももらっていないし、視聴者や読者に知らせる情報をコントロールする力もないし、参入障壁もないからです。なぜ紙でやるのか、紙にしかできない記事を考え、必然性がないのならネットでやる、そういう思考になれるかどうかが、今後既存のメディアが生き残っていく上で鍵になるでしょう。もしかしたら、現時点で紙のマーケットで負けている産経や毎日のほうが、より早く新機軸を打ち出さざるを得なくなった結果、生き残れるチャンスが大きいかもしれません。産経、毎日が退場した後に、発行部数を上乗せできるのではないかなどと皮算用している残りの三社のほうが、最終的には負け組になる可能性も十分にあると思います。

 現在新聞やテレビが持つ既得権益が未来永劫続く可能性が僅かでも残っているのであれば、政治的なロビイングを強化して、あくまで特権を死守していこうという経営戦略も、あまり褒められたものではありませんが、あり得るのかもしれません。しかし、そもそもメディアの構造が変わり、既得権益がもはや意味を持たなくなることが誰の目にも明らかになのに、未だにそれを死守しようとするような判断は、どう見ても経営戦略ではなく玉砕戦法です。そこに外部から普通の経営感覚を入れれば、直ちに路線転換をするはずです。

 2008年に、アメリカのあるメディア関係のウェブサイト上で、有名なビジネスコンサルタントが「ニューヨークタイムスを生き残らせるためのシナリオ」を発表しましたが、それはとても衝撃的なものでした。当時ニューヨークタイムスには編集スタッフが1400人くらいいましたが、そのなかで誰もが知っているスター記者50人だけを選び出して別会社をつくり、最低限のサポートスタッフだけにして、紙によらない記事配信をするのであれば、彼らに年収2000万くらいの給料を保証してもビジネスとしてぎりぎり成り立つだろうというビジネスプランでした。要するに世界に冠たるニューヨークタイムズでさえ、一軍で通用する記者はせいぜい50人程度。あとはこれまでリーグが一つしかなく、入れ替え戦もなかったから一軍に置いてもらっていたけれど、オープンリーグになった今、とても一軍では通用しないというわけです。まあ、よくよく考えてみれば、自由競争市場では、フリーで通用しない人が高い給料をもらって食べていけるのはあり得ないことなので、これくらいは当然と言えば当然なのかもしれません。

 普通のビジネスマンの目で今の新聞社やテレビ局の経営データを詳細に見れば、要するにそういうことなのです。これは「そこまでいかないとメディアは生き残れない」というメディア環境の厳しさを示唆していますし、一つの指標として重要な指摘だと思います。
現在の私の個人的な関心は、インターネット時代に既存の新聞・テレビを生き残らせるかではなく、いかにしてジャーナリズムを生き残らせていくのか、という一点だけです。メディア企業の組織防衛を優先するのであれば、公共的なジャーナリズムの旗を降ろして、「売れるものならなんでも売る」というエンタメ系にいくしかありません。ハンバーガーを一つでも多く売ることで表彰されるのと同様な社風をつくれば、ジャーナリズムとしてではなく情報産業として生き残って行く道はあるでしょう。一部のメディアでは既にそのようなカルチャーが散見できるようですし、既にそういうことを考えていそうなメディアも、実際にはいくつかあるようです。

 結論から言うと、11年間新しいメディア作りに取り組んできても、まだ記者の育成などに汲々としている私などが、「こうすればジャーナリズムは生き残れますよ」という処方箋を出すことは、とても無理です。しかし、まずはメディアが普通の産業として通用するようにならないと、新しいメディア時代にはとても生き残れないことだけは、断言できます。その中で、私たちの先人たちが苦労をして育んできた公共的なジャーナリズムの伝統やノウハウという松明の火を引き継ぎ、育て、次の世代に手渡していくために、これからもあらゆる可能性を模索しながらネットメディアとして戦って行きたいと考えています。

月刊マスコミ市民 (2011年2月 505号より転載)

April 26, 2011



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