ビデオジャーナリズムの目次とまえがき

このエントリーを含むはてなブックマーク

videojournalism.jpgビデオジャーナリズム カメラを持って世界に飛び出そう
著者:神保哲生
明石書店
2400円 (税別)
265ページ
2006年7月発行

目次
はじめに
第1章 目指せVJ(ビデオジャーナリスト)!
第2章 なぜ今ビデオジャーナリズムなのか
第3章 ビデオジャーナリズムとは何か
第4章 ビデオジャーナリズムの理論
第5章 ビデオジャーナリズムの文法(1)・初級
第6章 ビデオジャーナリズムの文法(2)・上級
第7章 ビデオジャーナリズムの制作工程
第8章 カメラの操作と必要な装備
第9章 ビデオジャーナリストの心構え
第10章 インターネット時代のビデオジャーナリズム
あとがき

前書き
はじめに
 一九九四年に私がある思いつきから最初にビデオジャーナリスト活動を始めた頃、自分がビデオジャーナリストであることを名乗ると「ビデオ機器の紹介記事を書く記者ですか」と真顔で聞かれたことがあった。医療ジャーナリストが医療に関する問題を取材するジャーナリスト、スポーツを取材する記者がスポーツジャーナリストだから、ビデオジャーナリストもビデオに関する記事を書くジャーナリストに違いないというわけだ。
 それから一〇年あまりが過ぎ、「ビデオジャーナリスト」も、その呼称だけはずいぶん広く認知されるようになった。少なくとも「ビデオジャーナリスト」を名乗ったときに、ビデオ屋さんの一種と間違えられることはなくなったようだ。

 しかし、その認知度とは裏腹に、「ビデオジャーナリスト」が本当に何をする人で、そこにはどのような意味があるかを、おぼろげながらにも理解している人は皆無に等しいだろう。言葉自体を聞いたことがあっても、せいぜい「テレビ番組を作っている記者さん」か、多少メディアに興味がある人で「撮影から編集まで全部一人でする人でしょ」くらいの認識なのではないだろうか。
 もともと世間一般の多くの人は、テレビがどのように作られているかにはあまり関心がない。関心がないというよりも、どこにもそんな情報は出ていないし、そもそも自分が関与できる可能性がほとんどない世界なので、関心の持ちようがないといったほうがいいのかもしれない。
 しかし、そのこと自体がテレビの性格を如実に表している。これだけ多くの人が日常的に触れ、社会と自分との接点を提供してくれているテレビという存在について、またその実態について、ここまで無関心でいられることのほうがむしろ不自然だ。やはりこれまでテレビは多くの人にとって、川の向こう側にある存在だったということなのだろう。
 ビデオジャーナリストは、一言でいえば「自分で映像まで扱う記者さん」なので、「全部一人でする人」も決して間違った認識ではない。しかし、ビデオジャーナリストが登場したことの歴史的な本当の意義は、「ビデオがみんなのものになった」ということをおいてほかに考えられない。ビデオジャーナリストは「ビデオがみんなのものになった」ことを、ジャーナリズムという分野において体現しているに過ぎない。
 莫大な量の情報を効率的に運ぶ能力を持ったビデオは、使い方次第でとてもパワフルなコミュニケーションツールとなり得る。すでに広告の世界では、ビデオのそうした特性をいち早く察知し、商品の効果的なイメージ構築のために映像をフル稼働させている。それは、ビデオは単に情報を「伝える」だけでなく、相手にそれを「実感させる」力を持っているからだ。
 しかし、ビデオはそもそも歴史が浅いうえに、少なくともつい最近までは値段も高く、扱い方も難しく、にもかかわらず画質はいまいちだった。そのため、ビデオの力を活用できているのは、人材を育成する余裕があり、制作したコンテンツを各家庭まで届ける伝送路を持ったテレビ局に限られていた。一般の人が関心を持とうにも、自分たちが手にすることができる家庭用のビデオと、テレビ局が使っている本格的なビデオ機材では、本質的に違いがあるように思えたのもやむを得ないことだった。
 ところが、今やビデオはみんなのものになった。誰もが、ビデオの力を自分たちのコミュニケーションに活用することが可能になった。画質は家庭用ビデオでも放送に耐え得るレベルまで上がってきた。しかも、サイズはパスポートサイズ以下。値段も一〇万円を割っている。
 それに加えて、ブロードバンドの普及によって、これまで長らくテレビ局が独占してきた伝送路も「みんなのもの」になった。自分が言いたいことや伝えたいことを自らビデオを使って制作し、それをテレビ局に依存せずに大勢の人に見てもらうことが可能になったのだ。
 本書の中で繰り返し強調していることだが、映像(ビデオと映像の関係は本書の中で詳しく解説してあるので、ここでは話をわかりやすくするために、あえて映像という表現を使う)は単に情報を伝えるにとどまらず、多くの人に何かを感じてもらう力を持ったメディアであることが、その最大の特長だ。人類は必ずしもまだそのことの意味を十分に認識していないように見える。しかし、映像の力がなければ共産主義の崩壊もなかっただろうし、アメリカのイラク戦争への批判もここまで大きくなることはなかっただろう。
 映像は情報を伝えると同時に、受け手にその場の空気を感じてもらう力を持っている。映像の力を有効に使うことができれば、その場にいない人にも、その場にいたかのような現場感や臨場感を持ってもらうことができる。
 今やインターネットの普及で、世界中のほとんどのことは、いとも簡単に知ることができるようになった。知るということ自体には、もはやそれほどの価値がなくなってきているといっても過言ではないのではないか。
 しかし、その一方で、あふれんばかりの情報洪水の中、その情報の背景や当事者たちが置かれた状況などに思いを馳せることは、以前にも増して難しくなっている。情報技術が進歩すればするほど、世界中の出来事がすべて他人事のように見えてくるとすれば、情報技術とは何とも皮肉なものである。
 ビデオは大量の情報を運ぶ特質を持っているがゆえに、使い方次第では、単に現場で何が起きているかという事実関係にとどまらず、もし視聴者が実際にその現場に降り立ったとき何を感じるか、そして、そこで自分はどうしたいと思うかに至るまで、より広く深い情報を届けることができる。「知る」より「感じる」、「知識」より「認識」をもたらすメディアという特徴を持っているのだ。
 もし、そうしたビデオの特質をジャーナリストが熟知し、それをコミュニケーションのツールとして使いこなせるようになれば、とてもパワフルな新しいタイプのジャーナリズムが生まれるのではないか。そう考えて、私自身ビデオジャーナリスト活動を一〇年あまり続けてきた。
 縁あって、二〇〇五年春から京都の立命館大学で、ビデオジャーナリズムを理論と実践の両面で大学生たちに教える機会をいただいた。よもや私が大学教授になるとは夢にも思わなかったが、いざ過去一〇年にわたり培ってきたビデオジャーナリズムの考え方を教えようとすると、まず教科書がないことが最初のハードルとしてのしかかってきた。ビデオの撮り方や技術に関する入門書や解説書の類は数多あるが、ビデオを使ったジャーナリズム活動のノウハウを説く本は、どこを探しても見つからない。
 考えてみればそのノウハウはついこの間まで、ほんの一握りの地上波放送局に独占されていたわけだし、しかもそのノウハウを生かせる場所も放送局という場に限定されていたのだから、そんな本を出したところで買う人は限られていたに違いない。だからといって、唯一そのノウハウらしきものを持っている放送局も、一般読者にまでその聖域化されたノウハウを公開するほどお人好しでもなかろうし、そんなことをしなければならない道理もない。それに、そもそも放送局が採用している制作方法は明らかに時代遅れで、しかも著しく非効率なため、あまり参考にならない。
 ならばと一念発起して、私自身が一〇年余の間、日々試行錯誤を重ねながらビデオジャーナリスト活動を続ける中でたどり着いた、現時点で最新のビデオジャーナリズム論を一冊の本にまとめたものが本書である。
 とはいえ、ビデオ自体の歴史も浅いし、ビデオジャーナリズムを一つの理論体系にまとめる試みとなると、これが全く初めてのものとなる。私自身、海外の第一線で活躍するビデオジャーナリストたちの多くと親交を持つが、彼らからもそのようなテキストの存在は聞いたことがない。おそらく世界でもこれが初めての試みになるだろう。その意味では、ビデオジャーナリズムの理論や考え方も、本書をとりあえずの入り口として、次の時代を担うビデオジャーナリストたちの手によって進化、修正、改善が加えられていくことを前提に本書は書かれているし、そうなってくれることは、とりあえずビデオジャーナリズムという分野の取っかかりをつけたかたちとなった私としても望むところだ。
 一つ最初にお断りしておくと、本書に書かれているビデオジャーナリズムのノウハウは、既存のテレビが実践しているニュース制作のノウハウとは明らかに一線を画しているものだ。既存のテレビ局のニュース制作に「論」と呼べるような理論体系が本当にあるのかどうかはさておき、ここに書かれているビデオジャーナリズム論は、日本人ジャーナリストの草分けとなった私が、活字ジャーナリスト時代の一〇年間と、最近一〇年間のビデオジャーナリスト活動を通じて培ったノウハウを、ビデオジャーナリズムという一つの体系にまとめて理論化したものだ。
 その意味では、本書はむしろ既存のテレビ局が行っているニュース制作の過程を反面教師とし、その問題点を克服する方法を提示すると同時に、より質の高いジャーナリズムの実践を可能にする新しい映像ジャーナリズムの制作体系を提案している。
 本書は、これからビデオジャーナリストを目指そうという方々に、まずはビデオジャーナリズムの基本的な考え方を学んでほしいとの期待を持って書かれている。ビデオジャーナリスト活動を始めたいと考えているがどこから手をつけたらよいかわからなくて困っている方や、とりあえずビデオを買って見様見真似で撮り始めてはみたけれど、なかなかジャーナリスト活動と呼べるところまで至っていない方なども大勢いるのではないだろうか。そういう方々のビデオジャーナリスト活動に、一つの理論的な柱を提供するのが本書の大きな目的の一つである。
 また、全国の高校、大学、専門学校などの教育機関でも、ぜひ本書を積極的に取り上げてほしい。これまで映像ジャーナリズムの担い手の地位は、もっぱらテレビ局に独占されてきた。放送局では独自の方法でコンテンツ制作を行っていて、そのノウハウは基本的には新人が入社してきてから、ゼロから教えることが前提となっている。そのため技術職としての採用を別にすれば、大学などでテレビ制作の実習系のコースを設けても、それは卒業後の進路にはあまり役に立たないものとされてきた。
 しかし、ビデオというこれだけ力のあるコミュニケーションツールを、放送局という名のほんの一握りの免許事業者が独占してきた時代は終わった。伝送路というコンテンツの輸送経路が限られていたこれまでが、むしろ異常だったのだ。しかし、放送局は伝送路の独占を通じてソフト制作のノウハウも独り占めしてきたため、伝送路が開放されたからといって、ただちに放送局の外にコンテンツが百花繚乱状態になるというわけではない。これから徐々にコンテンツ制作のノウハウが広がり、一つまた一つと既存の放送局の外にビデオを有効に活用したメディアが生まれてくることだろう。しかし、放送局による独占時代が長かったために、そのペースは著しく遅い。
 また、それが外に広がっていく過程では、これまでの放送の枠内では考えられなかったような劣悪なコンテンツも登場するだろう。新しい技術は、放っておけば前よりいろいろなことが悪くなる危険性を常にはらんでいる。その意味で、ビデオという力のあるツールを市民社会にとってプラスの力としていくためにも、人材の育成はとても重要だ。
 既存のメディアはその長い独占と、独占の結果としての資本の集中によって、ジャーナリズム本来の責務である権力のチェック機能を急速に低下させている。ジャーナリズム本来の機能を取り戻し、デジタルビデオにパソコン編集、そしてインターネットなど新たに登場したメディアを市民社会に役立てていくためには、その担い手たる質の高いビデオジャーナリストの育成が急務である。その意味では、ビデオやジャーナリズムに対する一定の知識を持った若い人材の育成を教育の現場が担っていくことは、十分意味があることだと考えている。もはや丸腰のままで学生を社会に放り出し、その先はすべて企業を信用して任せることが許される時代は終わっているのではないだろうか。
 とはいえ、教えようにもどこにも教本はないし、ノウハウはごくごく限られた人しか持っていないとなれば、それをいろいろな大学で教えろというほうが無理である。テレビ局の職員を招いて、テレビ局的な制作ノウハウを教えても、それこそ何の意味もない。そのノウハウは、伝送路の独占というかなり異常な状態のもとにある放送局でのみ通用するものにほかならないし、そのノウハウは局に入社すれば、局側が手取り足取り教えてくれる。もちろんいいことも悪いこともだ。
 実際にビデオジャーナリスト活動を行ってきた人にしかビデオジャーナリズムが教えられないようでは、いつまでたってもビデオジャーナリズムは世の中を変える原動力にはなり得ない。多くのメディア関係の教員の方に、本書をテキストとしてフルに活用していただき、多くの学生たちにビデオジャーナリズムを学ぶ機会を作っていただければ嬉しく思う。
 今日の若者たちのビデオやインターネットに対する感度は、私たちの世代の想像をはるかに超えている。最初に何点か重要な手ほどきだけしておけば、後はどんどん自分から経験を通じて学んでいくに違いない。そして、時として壁にぶち当たったり、迷ったりしたときは、また本書を読み返して参考にしていただければと思う。
 本書はまた、全国の地方放送局やケーブルテレビの記者、制作者も意識して書かれている。地方局やケーブル局には、主に物理的・予算的な制約から、特にビデオジャーナリズムのような理論を意識しないまま、制作者自身が映像の撮影から編集までを手がけているところが多い。しかし、ノウハウや理論的支柱がないために、いたずらに地上派放送局の真似をして、できの悪いテレビ番組のようなものに甘んじている。だいたいそういうところで決まって聞く言葉が、「予算がないから」だ。しかし、そこに一番欠けているのは予算ではない。ビデオを使った新しい表現方法のノウハウだ。ぜひ、地方局やケーブルテレビの制作者の方々には、ここに書かれているビデオジャーナリズムを、騙されたと思って一度試してみてほしい。きっと、ビデオについての新たな発見があるはずだ。
 また、経営者のレベルでいうと、ノウハウがないために、ビデオジャーナリズムの導入を躊躇しているケーブル局や地方局が多くあることを、私は全国の地方局やケーブルテレビ局の経営者との親交を通じて耳にしている。ビデオジャーナリズムをコーチしてほしいとのリクエストをいただきながら、物理的・時間的制約ゆえにそれを果たせてこなかった全国のケーブルテレビや地方局の経営者の方々への贖罪の気持ちを込めて本書を書いた。この本がその一助となれば光栄に思う。
 最後に、実際に自分自身がビデオを制作するまでには至らないにしても、日々テレビやインターネットで目にしている映像が、実はどのような特性を持っているかを知ることは、メディアリテラシーの向上という観点からも非常に意味がある。今日のテレビでは、その暴力性やそのほかの特性が認識されないまま(あるいは認識はしているが意図的に)危うい映像がかなり無節操に使われ、それが今世の中で何が起きているかをより正確に理解するうえで悪影響を及ぼしているように思えてならない。映像という、おそらく史上最強のメディアがこれ以上悪さをしないように、受け手側のリテラシーを上げる目的においても、一般のテレビ視聴者の方にもぜひ本書を利用してほしい。
 要するに、どんなかたちでもかまわない。本書を通じてビデオの持つ潜在的な力を再認識し、その「人に何かを感じさせる力」を使って、世の中を少しでもよくしていく方向に広く活用していただければ嬉しく思う。
 ビデオはみんなのものになった。後はみんながそれをどう使うかにかかっている。ビデオの力でよりよい二一世紀を作っていこうではないか。

  「知ることは感じることの半分も重要ではない」
  ――レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』より

二〇〇六年六月 京都にて
神保哲生

August 19, 2006



トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.jimbo.tv/mt4/mt-tb.cgi/306


小泉のヘボ英語に続くブッシュのこの笑い、。すべてを物語るキャンプ・デービッドでの5年前の最初の記者会見。 from 雑談日記(徒然なるままに、。)
 「竹中平蔵ってえのは、、。 」でお聞かせした録音の続きです。去年の9・11小泉

August 22, 2006


小泉のヘボ英語に続くブッシュのこの笑い、。すべてを物語るキャンプ・デービッドでの5年前の最初の記者会見。 from 雑談日記(徒然なるままに、。)
 「竹中平蔵ってえのは、、。 」でお聞かせした録音の続きです。去年の9・11小泉

August 23, 2006

コメント

投稿者 oleole 

面白そうですね。是非買って読んでみたいと思います。

あと、「誰でも参入可能な時代」に関する論点はたくさんあると思いますが、私がまず思うのは、こういう状況に、人々の意識や作法がついてきているのかな?ということです。

つまり、「誰でも参入できるよ。誰でも情報を発信できるよ。みんな好き勝手にやってね。」と、場を用意して放置するだけじゃ、熱心に取り組む人はあまり出て来ないだろうし、たいしたものは生まれてこない気がするんです。

既にブログサービスが本格的に始まって数年経ちますし、様々な投稿・参加型サイトなども誕生していますが、目を引くものはあまりない気がします。

個人的には、やはりこういうものは、誰かが看板を掲げて仕切ったり、人々を束ねて力を結集したり、組織的な支援をしていかなければ、普及・発展していかないように思うのですが、神保さんはどう思いますか?
韓国の市民ジャーナリズムも、様々な団体や政府の支援あってのものですよね。

そういうものがなくても自然に発展していくものなんですかね?それともこれからそういう組織的、環境的整備が進んでいくのでしょうか?

August 21, 2006

投稿者 tk 

三省堂で買いました。今読んでいます。
読み易く分かり易いですね。
TVのニュースを見るときに参考にします。
ニュース番組ひど過ぎますから。
昔から、突っ込みを入れてTV見ているので
リテラシは多少ありますが。

August 26, 2006

コメントしてください

サイン・インを確認しました、 . さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)

(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


情報を登録する?



rss 人気ブログランキングへ
神保哲生のTwitterへ
ビデオニュース・ドットコム
マル激!メールマガジン
沖縄の真実、ヤマトの欺瞞 米軍基地と日本外交の軛

RECENT ENTRIES

 02/04 東大話法に騙されるな

 01/29 だから消費税の増税はまちがっている

 01/21 われわれはどこから来て、どこへ向かうのか

 01/14 原発事故の裁判所の責任を問う

 01/07 2012年を生き抜くために

 01/07 5金スペシャル
日常から日常を見つめ直すために

 12/25 恒例年末トークライブ
ぼくたちが明るい兆しが見えてきたと考える理由

 12/17 やっぱり2011年マスメディアは死んでいた

 12/10 内部被曝を避けるために今こそ広島・長崎の教訓を活かそう

 12/03 暴力団を社会から完全に排除することの意味を考えてみた

 11/26 ドイツに脱原発ができて日本にはできない理由

 11/24 今週のDigのポッドキャスト

 11/21 メディアが権力に屈する時

 11/12 区長になって見えてきたこと

 11/05 TPPで食の安全は守れるのか

 10/29 今こそナショナリズムを議論の出発点に

 10/26 「分かち合い」のための税制改革のすすめ

 10/15 iPS細胞は何がそんなにすごいのか

 10/08 そしてアメリカは変わったのか

 10/01 5金スペシャル
自分探しを始めたアメリカはどこに向かうのか

LINKS

About this site

jimbo.tv はビデオジャーナリスト神保哲生が運営する神保個人のオフィシャルサイトです。
引用、転載などに関する情報は以下を参照してください。
SITE RULES
また、本ブログにお寄せいただいたコメントは、神保が執筆する著作やコラムなどに紹介や引用させていただく場合があります。あらかじめご了承下さい。

rss
Powered by MovableType
ビジネスブログ